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勝手にシネマ評/『彷徨える河』('16)

マゾンの密林が舞台のモノクロ映画『彷徨える河』。

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りあえずアマゾンと聞いて、私のお粗末な想像力ですぐに浮かぶ設定は、<先住民族VS侵略者の攻防史パターン>と、<科学で解明できない自然神への崇拝パターン>の2つだけ。だから「結局はそのどちらかに収まるだけで、さして目新しくもないんじゃねーの?」と期待は薄かった。ところがフタを開けたら、想定内に関わらずベラ棒に面白い!2つのパターンを両方盛り込んでなおかつ、娯楽映画の胸騒ぎをキープ。ずーっとワクワクし通しだった!

 

はその勝因は何か―。まずは肉体の説得力だ。先住民族唯一の生き残りとして、開口一番に登場する青年カラマカテ。カメラは彼を足元から舐め、ふてぶてしくて剛毅な面構えを捉え、ほぼ全裸に近しい後ろ姿までイッキに撮り切る。たかだか数分のファーストショット、だが速攻、我々の意識はアマゾンへ持っていかれる!ツイさっき食べたランチのことも、急ぎで返信しなきゃならないメールのことも、すべて抹消。呆けたようにスクリーンに注視するだけの状態になるのだ。カラマカテ、お前は一体何者だ?

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ぶりな首飾りと腕に巻き付けた羽、股間のみ覆う紐パンに、手には長~い棒を持つ男。自前の筋肉そのものが衣服のように映え、それも“隆とした身なり”ってヤツにまで昇華しているではないか。素人目ながら、ゴールドジム+プロテインの筋肉とは違うのよ…もっと粋筋なのよ!と思わず口走りそうになった。そう、すっかり映画のマジックにノせられ、梯子を外されたわけだ。

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て、ビジュアルの次に吸い寄せられたのが対話である。これまた勝手な思い込みなのだが、未開の地への探検ドラマとなれば、コミュニケーションが図れないのが前提となるはずだが、ここでは冒頭から対話が花盛り。意表を突かれた。

ある日、不治の病に侵されたドイツ人の民族学者テオドールと、先住民族出身の案内人マンドゥカが、カラマカテの呪術を頼りに来訪。白人侵略者たちへの恨みが根深いカラマカテは、一度は拒絶するが、唯一の治療薬となる植物“ヤクルナ”探しの旅へ同行することになる―。

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い、そうです、奇妙な組合わせの3人がカヌーに同乗し、大アマゾンを移動するロード・ムービーの体裁となるのだ。民俗学者だから言葉の壁がないのだろうけど…話が早いね(笑)。しかも先住民族の言語(一体何語?)が、コロコロと鳴り響く魅力的なイントネーションで、イチイチ耳に心地よい。音声素材を表現に取り込めるのも映画のマジックを強める一手だと痛感した。

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ちろん旅の途中の会話の中身がこれまた上等!モノに執着するテオドールを「正気じゃない」と諫めたり、「雨の前に魚を食べてはダメだ」など禁忌を連発してハッとさせたリ、妻への愛を手紙に綴るテオドールを可笑しがったりと、映画はカラマカテを通じてカルチャーギャップを提示し、科学的進歩に疑問を投じるくだりとするわけだが、カラマカテの知恵者ぶりが心技体を熟成した果ての簡素な美しさで迫ってくるため、くすぐりにもったいぶった匂いが感じられない。やがて警戒心をほどき合い、会話を重ね、互いの意見と人格を整理しながら静かに信頼関係を育んで行くプロセスに、私はメロメロになった。

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して映画には、もう一つ大きな仕掛けが用意されている。20世紀初頭の3人の旅と並行して、それから数十年後の老いたカラマカテの現在が挿入される。そのお姿は、枯れてなお鳶の頭のような風貌で、藍染の半纏でも羽織らせたらとびっきり似合いそうだが、時を経て記憶を失くし、孤独の淵にいるらしい。そこへ欲深く不眠症のアメリカ人植物学者が現れ、全てを忘れて無(チュジャチャキ)になったカラマカテを誘い出し、再びヤクルナ探しの旅に出掛けるシークエンスが描かれるのだ。

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タバレになるのでここには記さないが、過去の3人旅がこの先どういう末路を辿るのか?…河べりに舟を乗り着ける度に遭遇する悪夢の連続に終わりは来るのか?…ヤクルナは見つかるのか?…テオドールたちとの交流は?…等々、その後の2人旅からも同時に過去の出来事の行方を推察することになり、我々は聖なる植物を巡って突き進む2つの時間に絡めとられる。そこには、河の流れと呼応した出口が見えない欲望深き横の展開と、ジャングルから天空に向かって縦へ縦へと伸びるシャーマンの精神世界が出現し、やがて驚くべき結末へとジャンプする。ケレン味たっぷりに描かれる、聖と俗がせめぎ合うスケッチの数々…そのどれもが夢見るようであり、繰り返される弱者の悲劇を予感させるようにも映る。

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錯する2つの旅は、共に病に苦しむ知識人が一方的にカラマカテに接近して始まるものだった。なんやかんやと理屈を並べても、行き詰まった合理主義の果てに尚、科学的裏付けがなされなくとも、使えるものは出涸らしになるまで使い切ろうとの魂胆が透けて見える残酷な設定である。しかし、映画はラストで安直な二項対立劇をうっちゃり、命さえない世界を覗かせた。何と、カラマカテから刃を向けた相手へバトンをつなぎ、スクリーンをカラーに一変させ、我々をコイワノ族の末裔に化けさせる幕切れの鮮やかなこと!お~っ、こんな大風呂敷ならどこまでも広げていただきましょう。やっぱ映画はこうじゃなくっちゃ★ しかも私は未だに梯子を外されたまま、宙吊り状態に浸っている―。

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まったくの余談だが―監督のシーロ・ゲーラは「多くのコロンビア人はアマゾンについて何も知らない。だから調べて、映画にした」という記事を目にした。なぜかそのとき、桂離宮のことが頭をよぎったんだよね。初めて桂離宮を訪れたのは7年前。身をやつすようにひっそりと佇む敷地内に、無限の宇宙が広がっていようとはツユ知らず、かなりの衝撃を受けたのだが、その興奮を伝えようにも、「聞いたことがあるけどそれ何だっけ」?と返されるばかりで意気消沈…。監督みたいに作品にしてフィードバックはできないし…(苦笑)。八条宮家三代に渡る美意識の結集はアマゾンの密林とは対極の徹底した人工物なのだが、引き戸の向こうとこちらは別世界で、我々とは異なる時空が宿っていることだけは全身で受け止めてしまった私(汗)。以降、ずーずしくも、「日本人のやることもまんざら捨てたものじゃない!」と、桂離宮は私の心の拠り所になっている。それにしても、アマゾンの密林映画を見ながら、桂まで想像が広がるとは…。優れた映画と接触すると予想だにしない化学反応が起こるもの。だから未だ劇場通いが止められないのよね(苦笑)。

 

11月19日(土)~12月2日(金) 

名古屋シネマテークにて(上映スケジュールはこちらから) 

 


映画『彷徨える河』予告編

 

彷徨える河
2015年/コロンビア・ベネズエラ・アルゼンチン合作/モノクロ/124分

監督   シーラ・ゲーロ
撮影   ダビ・ガジェゴ
脚本   シーロ・ゲーラ
     ジャック・トゥールモンド
キャスト ヤン・ベイブート 
     ブリオン・デイビス

 

PS 次回は10/31にUP予定。またお会いしましょう♪