今年も一足早く夏休みを取って、お江戸で2泊3日の美術展ハシゴ旅をしてきマシタ!今回は、予備知識ゼロで訪問した小さめの展示に意外な発見が―★ 4本まとめてご紹介♫
1本め👀『中山英之展:,and then』TOTO GALLERY・MA
▶中山英之?建築家?知らねーし…。そうなのよー、六本木に行ったついでに、たまたま立ち寄ったTOTOギャラリーでびっくりドンキー🥩 前回特集した「石」との縁がここにつながって…。なんと紙でできた石が展示されてるじゃないの~、中山氏に速攻で興味スイッチON!石の画像を紙に出力し、実物どおりに組み立てて再現してんのね👍
▶重く扱いにくいものを、軽やか&華麗に豹変させたところがミソですね。いわば石のトランスジェンダー版か(笑)。テラスにはこんな巨大な石も…。背もたれの低い椅子との並びがすんごーく絵になってたよ。どこかチープでユーモラスでしょ~
▶で、さらに意表を突かれたのは、最上階の小さなスペースで6本の短編映画が上映されていたこと。建築家・中山英之氏が手掛けた5つの建物の、その後の様子が綴られているから「,and then」。歴史的建造物ならいざ知らず、建築家の手を離れた私的な建物を映像で後追いできるって、ありそうでなかったんじゃない?しかも映像はそれぞれ別の人が監督していて、展覧会=ミニ映画祭仕立てになってんの。うまいなあ~👍
▶そう、「石」と「映像」をきっかけに、建築家って何やる人?のイメージが刷新した企画になってたわけ。中山さんが世界と向き合うときのやわらかなスタンスは、なんだか子供の時に夢中になったあの無言工作劇の「ノッポさん」みたいで、思わずニンマリしちゃった😊展示はすでに終了しちゃったけど、今後もWatchしてゆきます!
2本め👀『モダン・ウーマン』国立西洋美術館
▶お次は、松方コレクション展の長蛇の列を横目に(笑)、同じ国立西洋の常設展内で開催中の『モダン・ウーマン』展へ!いやはや、これは必見ですよ、ワンコインで胸騒ぎ~♥ 19世紀後半から20世紀初頭、ロシアからの独立前後のフィンランドを生き、国の近代美術に革新をもたらした7人の女性芸術家にスポットを当てた展示です。
▶国が、社会が、女性の意識が、大きく変わろうとしていた時代に生きた彼女たち。新しい美術教育を受け、じぶんの表現を求めて研鑽を積む姿に、めちゃテンション上がっちゃった~。まずは礼拝する少女を描いたマリア・ヴィーク(1853-1928)の『教会にて』(1884)。確かなテクで対象をまっすぐ捉えながら、少女の表情に甘さはなく、すでに自我に目覚め始め、未来に思いを馳せているような…この子とは即マブダチになれるな🌼
▶別室の素描展示には、ヴィークの男性裸体習作も登場し…思わずどんだけうまいねん!ってツッコんでしまいました~。いや、単にうまいだけじゃない、人間の進化のプロセスまで浮び上がるスケッチになってるというか…ひたすら感服(ぺこり)。
▶7人の作家の中で唯一知っていたのがヘレン・シャルフベック(1862-1946)。2015年に東京藝大の回顧展を見て一目惚れした彼女とここで再会するとは♥ うーん、やっぱイイわあ。シャルフベックはとにかく三角なのよ!(笑)こちらの作品『祖母』(1907)は、まっ白な頭巾を頂点として、どこまでもなで肩の三角形に着地(デカイ手に注目!)。
▶一方、『木こりⅠ』(1910)の少年は、逆三角の顔、出っ張った耳、朱赤の唇までも三角してるし、『占い師』(1926)では抽象化がさらに進み、上半身まるごとスタイリッシュな三角モダン。もはやチェスの駒ですね(笑)。
▶次の『青りんごとシャンパン・グラス』(1934)は晩年の静物画。ひょろ長いグラスにつられるように三角盛りにされた🍏が妙でしょ(笑)。そのうえこの蓬色(よもぎいろ)がクセモノでさー、メランコリックにも、超然としている風にも見えたりして、少なくても枯れとは無縁。70歳過ぎても一筋縄ではいかない彼女の内面が伺えるわね。
▶そしてシャルフベックよりさらに食指が動いたのがエレン・テスレフ(1869-1954)でしたね~。まあ、どれもこれも悔しいくらいカッコイイのよ!例えば『春の夜』(1894)みたいな絵を見ると、何をどうやって描いたんだろうという興味より、作家自身の背景が気になり、一体どんな人が描いてるんだろう…との想像が止まらなくなるの。だって一歩間違えたら死体が浮いててもおかしくない情景なのに、ひどく見惚れちゃうんだもん★
▶これも惚れた~『ボール遊び』(1909)。ナイフを使った波がしらの動き、カンバスの向こうから海音が聞こえてきそうよねぇ~♬ 解放感が伝染し、見る側の魂も真っ裸よ!
▶フィンランド初の美術学校で教育を受けた彼女たちは、奨学金や留学の機会を得て、個々の才能を開花させていったの。テスレフも1891年にパリへ移り、その後イタリアへ。画風もガンガン変わり、一瞬たりとも目が離せませんよ。どこがイタリアなんじゃい!隅田川の打ち上げ花火だろ~って叫んでみるものの(笑)、シビレましたね『イタリアの風景』(1900-1910)。3分でいいから世界をこんな風に捉えられる👀がほしいっ!
▶最後に『帽子をかぶった自画像』(1935)とご本人のお写真を―。この👀を見てよ!もはやどんな言葉も無用ですね。カッケ~~~
▶ヴィークを長女に見立て、シャルフベック、テスレフと続いたモダンウーマン列伝。4番目のシーグリッド・ショーマン(1877-1979)だけが母になり、子育てしながら両立に励んだとか。イタリアに滞在し、テスレフと一緒に制作したこともあったらしく、彼女が描いた『イタリアの風景』(1930年代)も展示されてたよ。小さなスケッチなんだけど、安定感のあるいい絵よね。
▶次の『イタリアの風景、ヴォルテッラ』(1909)も空が高くどこまでも青い!北に暮らす人々の南への憧れは、絵の中の空気感に如実に表れるね。フとガブリエレ・ミュンターの風景画を連想したわ。ちょうど同じ頃、ミュンターはドイツのムルナウで多幸感に満ちた傑作を生み出してたの。あ~時代の変わり目に立ち会うようでワクワクしちゃう♥
▶また、ショーマンは1920年以降、美術評論家としての活動を始め、そこでも重要な役割を果たしたっていうから恐れ入りました(ぺこり)。評論家を引退後、70を過ぎて再び絵筆を持ち、さらに80を優に超えての裸婦像ですよ~、『モデル』(1958)。なんとまあ色艶のイイ背中!きっと若かりし頃のじぶんを妄想し、生涯生で見られないじぶんの背中をダブらせて、輝かんばかりに描いてみせたのね😊
▶先陣を切ったヴィークとは、80歳以上の年の差があるエルガ・セーセマン(1922-2007)になると、いきなり世界の複雑さが前面に迫り出してくるから驚いた。NHKスペシャル「映像の世紀」のオープニング曲が脳内リフレインしたわ(汗)。左から『室内』(1940)『カイヴォプイストからの眺め』(1941)『通り』(1945)。長く生きてきて…ならまだしも、20代前半からこんな荒々しい筆遣いを我がものとしてるとは…早熟ねえ。ここに漂う孤独の色合いは、時代を察知する嗅覚からくるものに思えたなあ。現代に近い絵ね。
▶目の表情が消された『自画像』(1946)は、口元に微かに意思が現れていて、ちょっと無視できない気配がある。先輩ヴィークの描いた少女が、巡り巡ってここにつながったと見ることもできたなあ…。しかも実際の彼女たちは全員、めちゃ長生き(笑)。じぶんに正直になれないと絵描きにはなれないし、そうやってひたむきに我を生きると、心身共にじぶんを使い切って朽ち果てる理想の生き様になるのかもね👍 9/23まで開催。
3本め👀『メスキータ展』東京ステーションギャラリー
▶これまた未知との遭遇~♩ 長ったらしい名前のサミュエル・イェスルン・デ・メスキータ(1868-1944)の日本初回顧展へ行ってきました★
▶メスキータは、オランダで活躍した画家、版画家、デザイナー。ちょうど前出のモダン・ウーマン列伝の女史たちと同時代を生きているから、欧州の美術の動向が如何に多様だったかもわかって面白かったよ。とにかく彼は木版、木版、木版のひと~。こちら『髭に手をやる自画像』(1917)を見てくれたまえ!
▶白黒のコントラストと掘り出した木版の線がそのままデザインになっててわかりやすくインパクト大。見ようによっては、けっこうクドイくらいの仕事なんだけど(汗)、構図が巧みでそのクドさが風合いに着地して見えるのよ(笑)。絶妙のバランスですわ。こちらは『ユリ』(1916-17)。
▶次の『少女(メイド)』(1932)や『少年』(1927)なんて、現代に通じる洒落っ気があって、販促グッズやTシャツに使われても十分クールに決まりそう。一方で手作業の重みと緻密さがある分、俗に流されないメッセージ性も感じるしね。あのM.C.エッシャーが影響を受け、敬愛して止まなかった恩師だと知って、とてもガテンがいったわ。
▶特に彼の持ち味を遺憾なく発揮したモチーフは動植物。そりゃあそうでしょう、神の手による自然グラフィックの極みだものね~。「シマウマは生きる木版」との本人コメントに超ウケました(笑)。はい、こちらが『シマウマ/Zebra』(1918)。
▶でも個人的に魅かれたのは、同じ動物がテーマでもエッチング作品の方でしたね。心が震えた…『ライオン/Lion』(1917)、『コブウシ/Zebu』(1916)。物悲しい佇まいに、絵の前でしばし立ちすくんでしまいました。なぜだか死の影がチラついて…。
▶1944年。ユダヤ人だったメスキータはゲシュタポに連行され、アウシュヴィッツで死亡。『脂尾羊/Fat-tailed sheep』(1916)は、自身の悲劇を予感していた作品に思えてしょうがなかった…これもエッチングです。でも彼の偉業を今に伝えられるのは、エッシャーや友人たちによって、アトリエに残された作品が命懸けで護られたおかげとか。版画こそナマで見ないとその奥行きに目が届きません…8/18まで公開、急いでね!
▶原田治(1946-2016) さんの訃報には本当にショックを受けた…。あたしにとっては、イラストレーターという職業とクレジットされる名前を結び付けて追い駆けた初めての人で、水面下ですんごく影響を受けたカッコいい大人の一人だったから―。没後初の回顧展は想像していた以上に感慨深く、じぶんを振り返る機会にもなりました。▶会場入口のネオンサインを目撃して、早くも涙目に…😢 原田さんのイラストが世の中に出回り始めた頃、アメリカのフィフティーズ・デザインが大好きだったあたしは高校生。日本製のキャラはどれも無邪気過ぎてお気に召さず(笑)、愛用していたのはもっぱらスヌーピー♥だったなあ。だから原田さんが手掛けたOSAMU GOODSと出会ったときは「これだ!」とすぐに飛びつきましたね~♬ なにせMade in America以上にアメリカ色が濃厚に見えたんだもの(笑)。
▶そう、キャラクターのデザインだけじゃなく、OSAMU GOODSと名付けられた通り、ロゴやサイズ感やパッケージも含め、トータルでデザインされていたからノックダウンしたのよね。アメリカへ行ったこともないのに、アメリカのショッピングセンターで買ったみたいな気分を満喫…美しい錯覚ですわ(笑)。一方でOSAMU GOODSの難点は、パッケージがかわいすぎて、もったいなくて本体が使えない点でした(爆)。
▶でもって、欲しいアイテムは意外と高額で、高校生のお小遣いでは買えなかったのよ。だからミスドーのオマケにみんなハマったのでしょう~♪
▶他にも、各種グッズの仕事や広告&出版界での活躍など、今回の展示で初めて知ることも多かったな。守備範囲の広さとプロ意識の高さは、ディック・ブルーナに通じるものがありましたね。シンプルな絵柄だからこそ、人一倍のこだわりを見た思いです。
▶そうそう、あたしが最も愛したグッズは、ザンネンながらここでは見当たらず…。1978年に主婦の友社から創刊された女の子向け雑誌『GALS LIFE』の特別付録になったビニール製のマスコット人形なの。念のために画像検索したら…ひぇー、コレですよコレ!ぺったんこの学生カバンにぶら下げて通学してマシタ。セーラー服の日々が走馬灯のように思い出されたわ~(爆)。
▶そして大人になってからのあたしは、原田さんの美意識にとても影響を受けたの。再版された美術エッセイ『ぼくの美術帖』(みすず書房)を読み耽り、小村雪岱、鏑木清方、北園克衛、川端実らの魅力を再認識したっけ…。また、東京の山の手の戦前の洋館に似合いそうな鈴木信太郎の絵を知ったのもこの本がきっかけだったなあ。生粋の東京人の原田さんの文章を通じて、ホンモノの江戸の血筋を感じていたんだと思います。
▶実はちんぴらジャーナルを始めるきっかけは、原田さんのブログ原田治ノートに刺激されたからなんです!だから同じ「はてなブログ」を利用し、サイトデザインや基調カラーも真似てブルーに😊 原田さんは、古いものに造詣が深い方でしたがアナログに執着するわけではなく、早くからブログを始めていて、亡くなる数日前まで更新。編集作業&情報発信には生涯関心を持っていたんだと思います。美意識が凝縮されたアーカイブ、今でも読めます!そしていつ読んでもキリッと新鮮な👀に生まれ変わります―。
開催は9/23まで。特に50歳以上の紳士淑女のみなさま、お見逃しなく(笑)。
PS 大物展示、ボルタンスキーの東京巡回は大阪に軍配が上がり、塩田千春展も広すぎる森美では怪しげな気配がイマイチ愉しめず…(汗)。場との相性ってありますね。さて次号は少し先になります。9/13の更新で~す♫