勝手にシネマ評/『のぼる小寺さん』('20)

内容はもちろん、タイトルもろくすっぽ見ないまま劇場に駆け付けた『のぼる小寺さん』。それでも幕が開いた瞬間、「へぇー、小寺さんって子が、本当にのぼる映画なんだあ~」と、最短であたりがついた。だって笑っちゃうくらいタイトルのマンマなのだから

f:id:chinpira415:20201110091607j:plain開口一番、小寺さんと呼ばれる白目のきれいな女の子が、ボルダリング競技に挑んでいる。傍らには、彼女の背中を見上げて、声援を送る仲間たちの横顔が並ぶ。ボルダリングに多少の現代性はあるものの、正直言って眼にタコができるほど見慣れた競技中継フォーマットだ(汗)。そんな小寺さんに、ひときわ熱い視線を送るのっぽの男子を、カメラがスッと抜くあたりもお約束。この後のカップリング予測までつきまくりだが…それで大丈夫?

f:id:chinpira415:20201110091815j:plainそして何と驚くべきことに、これが映画のすべてだからかえって潔い。だったら10分で終わるって?そう、『のぼる小寺さん』は、映画の骨組みを10分で開示し、残り90分で観客を“小寺マジック”にかけようという狙いなのだ。しかもマンマとその通りにのせられるから困った。まさか還暦前のババアが、学園ものにスンナリ溶け込めるとは…苦笑するしかない。

f:id:chinpira415:20201110092120j:plainさてそんな、“小寺マジック”とはなんぞや―。高校のクライミング部に所属している小寺さんは、クライマーに憧れ、ボルタリングに熱中する毎日。当然のことながら我々は、好きなことにひたむきに取り組む彼女を映画の主人公にして眺めるのだが、すぐに勝手が違うことに気づく

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意外にも小寺さんは主人公ではない。常に物語の中心に存在はするが、あえて例えるならその役目は「背景」なのだと気づく。そして、アイドルの放つ天然の輝きを、ダイレクトに映画の「背景」に使った点が本作の新しさなのである

f:id:chinpira415:20201110092454j:plain実は『のぼる小寺さん』の主人公は、冒頭に登場した応援団の側であり、何と4人もいる。まずは、あののっぽの男子近藤。クライミング部の隣でチンタラ卓球の練習をする彼は、小寺さんの一生懸命な姿が気になってしょうがない。暇さえあれば彼女を眼で追い、「なぜ登るのか…」と、じっと見守る。はい、古今東西を通じて、それを恋と呼びますね。

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もっとわかりやすく小寺さんに近づく男子も登場する。いかにも運動が苦手で場違いな印象の四条は、小寺さんを追い駆けてクライミング部に入部。憧れのキミに並べるようコツコツ練習に励む。気弱BOYは体当たりで思いを伝える作戦に出るようだ

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小寺さんに夢中になるのは男子ばかりではない。カメラマン志望のありかは、こっそり小寺さんを被写体にしているうち、撮影の楽しさに目覚め始める。誰にも打ち明けられず、独りで紡いできた趣味の世界が、徐々に形を変えて行くから面白い。

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まともに登校せずチャラチャラ遊び歩いてる梨乃も、小寺さんのふんわりとしたリアクションにはなぜか自然に打ち解けられる。マメだらけの小寺さんの手に、得意のネイルをしてあげたりして、カッタるい彼女の毎日にちょっぴり彩りが蘇る不思議さ

f:id:chinpira415:20201110225939j:plain…とまあ、ある日偶然小寺さんを見つめるようになったクラスメイトたちが、あれよあれよという間に小寺さんに魅せられ、勝手に自己変革を遂げて行くのである。ある意味恐ろしい(汗)。神がかり的と言ってもイイ。だから“小寺マジック”

f:id:chinpira415:20201110230516j:plainところがそのメソッドは、まったくもって小寺さんの意図せぬものだから、再現性はなく、「なんでやねん?」の連続である。美貌、知性、リーダーシップ力etc…小寺さんはおよそ何も発揮しない。カリスマ性ゼロ。ただ、無垢な塊と化し、来る日も来る日もひたすらその先に向かってのぼり続けるだけだ。何よりじぶんが嬉しいから―。

f:id:chinpira415:20201110230606j:plain 一方でなぜ小寺さんはスクールカーストの枠外にいられるのだろう…そんな難問も浮かぶ。クライマーになりたいという夢が拠りどころになっているのは一つの要因。でも、個に執着してやり過ごせるほど学生生活は甘くない。じぶんを盛るのも消すのも、匙加減ひとつで状況が激変する狭い世界だ。

f:id:chinpira415:20201110231013j:plainなのに小寺さんはそんな悶着とも縁遠い人として映る。独りてっぺんに上がっても、地上に降りて他者とまみれても、どんなシーンでも彼女はものさしを持たずに挑み、出し惜しみなしの全力投球。そもそもじぶんの着くべき座を意識していないため、彼女から発せられるものすべてに濁りがないのである

f:id:chinpira415:20201110231111j:plain小寺さんの輝きに引き寄せられた人々が、体内化学変化を起し、じぶんの知らないじぶんを発見してゆく下りは、映画ならではの贈りもの。そのために、“小寺マジック”をいかにあってほしいウソに仕立てるかは、作り手の腕の見せ所だろう

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放課後の解放感、学祭の共同性、校内を吹き抜ける風、試合前の張りつめた空気…学び舎の記憶を醸成させるスケッチの数々が素晴らしくみずみずしい。行き届いたディティールのパッチワークがあってこそ、観客の望むウソでもてなしができるのだ。あっ、そこで忘れちゃならない!工藤遥ボルダリングを、伊藤健太郎が卓球の猛特訓を受け、本人の実演で撮影に挑んだアクションの厚みが、一番の勝因だということを―。

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そのうえ最後に用意されたエピソードがいいじゃないの~!無自覚にキラキラしてる小寺さん、みんなに見られるばかりだった彼女が、「僕を見てくれ!」とお願いされる夏の放課後。近藤に直球で告げられた小寺さんは、長い沈黙と共に、そこで初めて映画の主役の1人になるのだった―。

f:id:chinpira415:20201110232216j:plain古厩智之作品との付き合いは長い。すでに四半世紀になる。タイトルも覚えずに劇場に足を向けるほど、監督への信頼度は高い。劇中、「がんばれ!」が何度もこだまするのに、まったく胃もたれがしないのは、この監督が勝ち負けや英雄譚を気に留めない作り手だからだ。それでいて、登場人物全員のきらめきだけは脳内にいつまでもリフレイン…。腕のいい群像劇の職人監督、引き続き、定点観測させていただきます!


工藤遥と伊藤健太郎共演!映画『のぼる小寺さん』本予告

『のぼる小寺さん』

2020年/101分/日本

監督            古厩智之
撮影       下垣外純
脚本       吉田玲子                             音楽    上田禎                             
出演       工藤遥  伊藤健太郎

PS 次回は11/29に更新します