勝手にシネマ評/『淀川アジール~さどヤンの生活と意見』('20)

琵琶湖から大阪湾に流れ込む一級河川・淀川。その河川敷に手作りの小屋を設え、20年ほど前から暮らし続けている男がいる。70歳を過ぎたその人物は、“さどヤン”という愛称で呼ばれている。田中幸夫監督による本作は、そんな彼のライフスタイルに長期密着したドキュメンタリーである。

f:id:chinpira415:20210127100006j:plainを眺めながらの一軒家暮し、しかも拾い集めた素材で作ったマイホームを構えているさどヤンだが、地面を所有していないとなると、わが国での扱いは不法占拠の輩であり、世間の目もズバリ“ホームレス”。皮肉なことに、ホームを持っているのにホームレスである。

f:id:chinpira415:20210127100159j:plainそしてホームレスの人々を映像で扱う場合は、わたしの知る限り、「ホームレスの身だけど、こんなに知恵者」「ホームレスなのに毅然と生きている」というふうに、意外性を賛美し、座布団を敷いて見守るフォーマットがほとんどだ。劇映画でもドキュメンタリーでも…。そこでいつも気になるのは、世間的価値を正解としたうえで、彼らが比較検討される点である。ホームレスは事実だが、それを一般的なものさしの下から評価し、「なのにスゴイ」と持ち上げるのは、どこか違和感をおぼえるのだが…。

f:id:chinpira415:20210127104143j:plain私自身、ホームレスに限らず、じぶんの中で対象を弱者として認識するときに、個人的なクセで勝手に判断してしまうところはあって、しばしばマズイなあと省みることが多い。だから、じぶんに揺さぶりをかけるためにも、絶えず異なる視座を備えた映画を探し求めているような気がする。前置きが長くなったが、そこでさどヤンである。

f:id:chinpira415:20210127100634j:plain正直言って、ここでのぞき見するさどヤンの生活、ビジュアル、発言のすべては、自由で活力ある老人の模範図のようで、ホームレスという座布団など意味をなさない。地に足がつき過ぎてて、むしろ驚きに乏しいほどだ

f:id:chinpira415:20210127100811j:plain彼は革命家ではない。リアリストである。アルミ缶拾いで1日500~1000円、週1回の清掃の仕事で5300円を稼ぎ、カレンダーには仕事スケジュールが書き込まれ、自己管理もバッチリ。一級河川を台所にして、シジミを採ったりハゼを釣ったり…。バーベキュー後の捨てられた炭を煮炊きに再利用するのはもちろん、太陽光発電システムまで手作りし、東急ハンズの店員にだってスカウトされそうだ。

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マイホームの隣には、誰でも立ち寄れる休憩所を設け、公共性を担保。社会意識が高く、ひとりでSDGsミッションを回しているようにすら見えてくる。ぜんぜん無理がない。不自然さの欠片もない。だからなのか、様々な人々がここを訪れ寛いで行くが、それが群像劇の顔ぶれに酷似して映り、かえって印象に残らなかったりする。言葉使いとイイ風格とイイ、やけにホンモノ感たっぷりな元西成の手配師でさえ、なぜかさらっと見流してしまうのだ。だって、落語に出てくる人情長屋フォーマットから、一向にハミ出さないのだもの…。

f:id:chinpira415:20210127101249j:plain貨幣経済と折り合いをつけ、人情ユートピアも実現させ、技術を武器に、かつ自然をも味方につけ、持続可能な生活を維持するさどヤン。そのバランスのイイ暮らしぶりは、じぶんの頭と身体で考えて試行錯誤を繰り返した証しだろう。だから驚きがないこと=安心安定なわけで、それを物足りなく感じるとしたら、わたしの側に問題がある。

f:id:chinpira415:20210127101519j:plain元々田中監督は、問題定義を引っ提げて被写体を狙う作家ではない。異端扱いされがちな人々を、ごく普通に承認される場所へ送り出すための、きっかけ作りに一役買って出るのが持ち味だ。だけど今回の被写体は、揺るぎない個で立ちつつも、世間との親和性が高く、そもそも心も身体も全開放的な環境下に置かれているわけで、もてなす必要がまるでない。さて監督の出る幕はどこにあるのか―。

f:id:chinpira415:20210127101036j:plainそういえばあったなあ…と、記憶を呼び覚ますシーンが最後に登場する。関西方面を直撃し、多くの被害をもたらした台風上陸中の映像だ。確かこの日、じぶんも早帰りしたっけ…と振り返りつつ、スクリーンに意識を戻して…ハッ、とした。被災地域は、まさにさどヤンのテリトリーではないか!

f:id:chinpira415:20210127102045j:plain我ながらイヤな人間である。安心安定に退屈しておきながら、いざ波乱の気配を察知すると途端に身を乗り出したりして、単なるのぞき屋ですわ(汗)。そして田中監督は、そんな俗人好奇心に応じるかのように、台風一過のさどヤンを訪問する。はい、満を持してここでもてなしを繰り出すわけだが、いやー、このくだりが実にイイのだ。

f:id:chinpira415:20210127102350j:plainすでに淀川は、何事もなかったように胸襟を開いて流れていたが、さどヤンのマイホームは、あの強風でひとたまりもない状態に陥った。建物の半分は辛うじて残ったが、生活必需品は全部飛ばされ「みんなパア」。それでもカメラを前に苦笑しながらこうつぶやく―「何もかもなくて気分ええわ。ホームレスらしくなったやろ?」と―。

f:id:chinpira415:20210127100456j:plainどこ吹く風を装い、自嘲気味にサラっと言葉を紡ぐさどヤン。しかし私の耳には、「なーんにもなくなって、これで世間が望むホームレス像になっただろう?」と、挑発するかのように聴こえたのも事実。そう、「ホームレス」という在り様に対して絶えず意識を尖らせ、誰よりも自覚して生きてきたのは、他ならぬさどヤン自身なのだ。だから、わたしや世間がどう捉えようとも彼の中では端から想定内だし、いかようにも振る舞えるとの余裕がある。なるほど、矜持とはこういうことか―。

f:id:chinpira415:20210127102932j:plainさらに一転、幕切れでは、さどヤンの恐ろしく無防備な横顔が差し挟まれる。殺されかけた愛犬を必死の看病で救い、リハビリに寄り添う姿は一服の宗教画…まるで聖家族の絵のようなシーンが登場する。災害と病気に対し、いつだって彼らが抱えるリスクは大きい。しかしその一方で、これほどあらゆる生命(いのち)と向き合う日常はないかもしれない。しかもその営みをさどヤンは、ごくシンプルに「人間の仕事は生きることや」と説くのだ―なんて痛快👍


ドキュメンタリー映画 淀川アジール さどヤンの生活と意見 予告編

 

 名古屋シネマテークにて 2/27~3/5まで 連日10:00~ 公開

『淀川アジールさどヤンの生活と意見

2020年/73分/日本

監督・撮影      田中幸夫
企画・デザイン 大黒堂ミロ
朗読           ナオユキ                       
出演              さどヤン

おまけ/映画の中で、さどヤン側から見た川向こうの景色が繰り返し切り取られる。ふと、メキシコのアーティストガブリエル・オロスコ(1962-)『島の中の島』(1993)という写真を思い出した。向こうと手前があることで空間がダイナミックに変貌する…“ともに幸あれ!”とつぶやきたくなる1枚だ。

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 PS 次回は3/13に更新します