名古屋市美術館で16年ぶりに開催中のゴッホ展―『響きあう魂 ~ヘレーネとフィンセント~』へ行って参りました!ヘレーネとは、ゴッホ作品の超コレクター、ヘレーネ・クレラー=ミュラーのこと。1938年に彼女が設立したクレラー=ミラー美術館のゴッホ・コレクションをガッツリ見られる企画展です。あのときの興奮が、今再び~!
ゴッホ…その名を口にするだけで思わず体温が上昇する気がしてしまうのは、時間軸と切り離せないからかもしれません。1880年の夏に画家として生きることを決意し、じぶんの腹部をピストルで撃ち抜いてそのまま最期を遂げる1890年の夏までの10年間が、私の目の前に宮島達男(1957~)のデジタル・カウンターのごとく迫ってくるわけです💦天賦の才を持ちながらも人知れずこの世を去る人は多々いらっしゃいましょうが、ゴッホの作品ほど絶えず時間軸を意識して対峙してしまうケースは他にないです、はい。
というのも、彼が画商の弟テオに宛てて書いた大量の手紙に創作プロセスを詳細にしたためていたことと、ヘレーネという個人コレクターがゴッホ作品にぞっこんになり、まとめてお買い上げしてくれたからでしょう。つまり、作家自身の批評性と身内のフォローと金の力の三位一体で一次資料と制作物が散逸せず、検証が可能になったから時間軸が立ち上るのです。ドキュメンタリー性が高すぎて心拍数があがっちゃうけどね(笑)。ではそろそろ作品を見て行きましょう~♫
【麦わら帽子のある静物(1881)】画家宣言をしたゴッホの初期の油彩画。前にも見たけど、これ、お地味ながら好きな作品なんですわ♥ ほぼ独学で絵描き山脈を登り始めた彼のまっすぐさが、すっごーく伝わってくる1枚だと思う。我々が見慣れたゴッホのイメージにはまだまだ遠いけど、個々の材質の違いを見極めつつも、トータルでじぶんが大切にしたい1つの美に帰結していて、いい絵なんだよなあ~。
【オランダ時代の素描画の数々】16年前に最も衝撃を受けたのがオランダ時代の素描画の数々。今回もたくさん出ていて、「かっけ~!」を連発しちゃった📣この時代、農民の暮らしを描いたミレーの絵を題材に、ひたすら模写を繰り返し、やがてじぶんのお気に入りのモデルを見つけたりもしてるゴッホ。コーヒー飲んでる髭の爺さんは頻繁に登場します。かぶりもんしてる人物スケッチが多いのも見てて楽しい🎩頭部や座る人物の素描を繰り返し描いていたゴッホが、練習の成果を1枚の構図にまとめ、リトグラフで制作したのが『ジャガイモを食べる人々』(1885)。若い頃は暗くて陰気な絵としか映らなかった1枚だけど、今見るとおっそろしく実験的な絵画に思えて、じぶんでもビックリ(笑)。習作の合体で視線がバラバラなところが、逆に現代的だし、ランプの光が部屋の隅々にまで様々な階調で届いている描写力に震えマシタ~。
あとねー、掘る人、刈る人、種まく人、といった農作業のアクションを何枚も素描していて、これがヨダレがでるほど好きで好きで…(笑)。上質なモノクロのドキュメンタリー映画を見ているようなかんじなのよ。
あまりに好きすぎて、模写したこともあったちんぴらです(左側)。
何にそんなに魅かれるのかというと、おそらく人体のバランスなのでは?と思うわけ。手と足が異様におっきくて、しかも腕が長いでしょ。わかりやすく言うとミッキーマウスのシルエットに近い。もちろんキャラクターを作っているわけじゃなく(笑)、ゴッホが自然と一体化して作業する農民の姿から感じたものが、このバランスになったってことでしょうかね。
農家の女たちを描いたシリーズもきわめて美しい!ひとつの塊として捉えているよね。
はい、『炉端の女』も模写したのよね。ヤカンがぜんぜん描けてないけど―💦
ギャザーたっぷりの白い帽子と隣はボリューミーなスカート…立体的なモチーフの練習をしていたのかな。素描と油彩を交互に描いて、じぶんの絵画道を探求してる時代です
【レストランの内部(1887)】1886年2月。遂にゴッホは故郷を離れ芸術の都PARISへ♫ロートレックと出会ったり、印象派展を見たり、イタリア人の恋人までできたりしてイッキに世界が広がります。当時先鋭的だった点描画にもトライし、都市の一角をこんなに甘く明るい色彩の絵に仕上げるなんて…じゃがいもが花に化けた?
【レモンの籠と瓶(1888)】1888年2月。さらに陽光を求めてアルルへ向かう。移住後の5月に描いた1枚が次の静物画。レモンか玉ねぎかジャガイモか…ちょっと判断がつきかねるけど(笑)、そのいびつな存在感とほぼワントーンで仕上げたこの絵の斬新さには、言葉を失いますよ。ゴッホの眼👀には絶えず黄砂が舞ってたのか?
【サント=マリー=ド=ラ=メールの眺め(1888)】6月には地中海沿いの漁村へ小旅行👜オレンジや黄色の屋根と青い輪郭線に心弾むね♬さらに手前の畑にも空の青が映り込み、まるで海のようではないの~!自由な色彩設計に感嘆です。
【黄色い家(通り)(1888)】9月。ゴッホは画家たちの理想郷になることを夢みて、アルルのラマルティーヌ広場にある「黄色い家」に移り住みます。こちらはファン・ゴッホ美術館所蔵の1枚。またまた独創的な絵だよね…ぺったりと塗りこめられた空の青さが不穏な気配を漂わせつつ、それ故に黄色い家が神々しく輝きまくるという対照性。ウクライナ国旗の配色だと言えば、最もタイムリーな例えか―。1枚の絵に朝と晩が一度に押し寄せてきた印象だわ。【緑のブドウ園(1888)】ぺったりと塗りこめられた空が、10月に描いたブドウ畑では徐々に渦巻き始めます。しかも葡萄の木、枝、葉、それに人物までもうねった点描で表され、絵の具はこんもり。葡萄が踊る生気溢れる前景から~の、奥へ奥へと視線を誘うダイナミックな構図が好き。そしてここでも青と黄の補色劇場です★
【サン=レミの療養院の庭(1889)】そしてポール・ゴーギャン(1848-1903)との共同生活の破綻から精神を病み、耳切事件へ至ってしまったゴッホ💦1889年5月。療養中の病院の荒れた庭を描いた1枚は、むしろ十分すぎるほどエネルギーに満ちていて驚かされます。短い筆触と色とりどりの色彩で花は咲き乱れ、花火のよう。突き当りの黄色の壁と、ところどころからのぞく空の青さが全体を支えていますね。
【夕暮れの松の木(1889)】ほほーっ、ゴッホの夕暮れは黄色なのか…。沈みゆく赤い太陽は、まぶしい割には重量感がなく、書割りみたいに見えたりしておもしろい。一方、画面の下は雪化粧で、急ぎ足で傘を差して歩く女の人の姿が見える。手前にガクッと折れた枝の迫力と相まって、思わず広重の名所江戸百景を連想しちゃった。
【草地の木の幹(1890)】度重なる発作に襲われながらもひたすら描き続けたゴッホ。1890年4月、またもやとんでもない傑作を誕生させました。この木の幹を見て!樹皮の質感を配色と筆致で表現していてスゴ~い迫力。早くも抽象絵画の領域に踏み入ってるよね。柔らかく光り輝く草地との対照性にもウットリ…まるで天国ですわ~
【夜のプロヴァンスの田舎道(1890)】亡くなる2ヵ月くらい前の渦巻きてんこ盛りな作品。いろんな意味で激しいな。天空を突き抜ける糸杉の背後には月と金星と水星が居並ぶ。ここでは小麦の黄色に穏やかさはなく、やたらざわついて見えた…
番外編①【ドービニーの庭(1890)】最晩年の作品でいえば、実は亡くなる数日前に制作したひろしま美術館所蔵のこちらの方がちんぴら好み。ペパーミントグリーンがロマンチックでそれはそれは美しいのですよ~。うねりと光のバランスも申し分なし。広島へ行く機会があったらぜひチェックして。多幸感に包まれます!
番外編②そうそう、ドラマチックな生涯と資料の充実ぶりが食指を動かすのか、ゴッホを題材にした映画はたくさん作られております。イチオシはモーリス・ピアラ監督作品『ヴァン・ゴッホ』('90)。ジャック・デュトロン演じるゴッホを一度目撃したら、もうゴッホはジャックのビジュアルなくして想像できません。映画がまたすんばらしいのなんの…娯楽性を意識しながらも徹底的にクールでさー、1つ1つのシーンがぜーんぶ絵画に見えちゃうの。個人的には死ぬまでにもう一度見直したい映画の1本です🎬
番外編③【模写✕3】鬼才フランシス・ベーコン(1909-1992)は、ゴッホの『タラスコンへと向かう途上の画家』(1988)をもとにした連作を制作していて、その絵に衝撃を受けたちんぴらは、これも模写してたんですわ。そう、模写の模写の模写(爆)。ベーコンは「道の上の亡霊のような人物を描きたかった」と語っているけど、ちんぴらの模写は亡霊からさらに色を抜いた陽炎ゴッホ。ちょっと楳図かずお入ってる?
まあ、ちんぴらのごたくは無視していただいて結構ですので、何はともあれ、ぜひ実物を見に足を運んでくださいませ。ゴッホ展は完全予約制です。
PS 次回は4/13に更新します