遠回りしながら…👣 ゲルハルト・リヒター展

待ちに待ったゲルハルト・リヒター豊田市美術館でスタート🏁今年一番楽しみにしていた美術展、大人美術部のみんなと前のめって初日に訪問してきました😊画業60年、“今日、もっとも注目を集める画家”の大規模回顧展は、予想以上の面白さ。ただ、ガツーンと140点との対面…どれもこれも意味深過ぎて整理がぜんぜんできません💦作品に近づくほど混沌としちゃって。まっ、遠回りしながらメモってみますね✒

【遠回り ①】まずは食い物で遠回り(笑)。豊田市美に行くならここに立ち寄らないと始まらない上坂商店でのおやつタイムです。JA豊田に移転した後も味はカンペキ!リヒターに食べさせたいよ~五平餅と蒟蒻味噌おでん🍢どう、ミニマルだろ?

【遠回り ②】初めてナマで見たリヒター作品は、10年前のワコウ・ワークス・オブ・アートでの<ストリップ>シリーズ8枚のガラス(CR: 928)>。どんな意図で作られているのかさっぱり掴めなかったし、正直言って賢く突き放してくるような佇まいがじぶんの好みとは相容れない気がしたんだけど、しばらくするとボーダーの輝きが目にも胸にも染み出し感傷的になったっけ…奇妙な出会いだったな

【遠回り ③】そんなミニマルな最新作を見た翌年、彼の画歴をさかのぼるように台湾のヤゲオ財団コレクションで初期の油彩6点と遭遇。写真をそのマンマうつしとって描くフォト・ペインティングシリーズを初めてナマで目撃し、胸の奥がざわついたっけ。絵の前に立つと横刷毛のボンヤリタッチが、古い映像をすりガラス越しにのぞく感覚になり、なんだか亡霊を見てるみたいな…。こちらは<叔母マリアンネ>('65)、謎めきまくりでしょ?サザビーズでの落札金額がさらに怖くて…ウン億円!

【遠回り ④】そんな風にじわじわとリヒターの立ち位置はわかり始めたけど、一方でそもそもの疑問が浮上した。いやー、どれもこれも作品にはシビレるが、億単位で売買されてる美術市場、意味わからん(笑)。そうこうしてると、2020年にリヒターの生い立ちを題材にした劇映画『ある画家の数奇な運命』('19)が公開された。なんとあの絵のモデル、マリアンヌ叔母さんも重要人物として出てくるのよ!

これがねー、リヒターの幼少時代からフォト・ペインティング誕生秘話までを奇をてらうことなく丁寧に綴り、娯楽映画としてええ塩梅でまとまってるの。ドイツの歴史と、ひとりの芸術家志望の個人史を上手く響きあわせて見ごたえタップリ。ところが、取材には協力的だったリヒターが予告を一瞥した途端、たいそうご立腹になり、映画を全否定してるとか💦はあ?映画は興行なんだから、本当に見えるウソをついてナンボの世界。ウブな人だね。金は腐るほどあるんだし、お嫌なら自分で作れば?


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【遠回り ⑤】そして今年の年頭には、ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術展で、東京都現代美術館所蔵のエリザベート(CR104-6)>('65)を再見。こちらのフォト・ペインティングシリーズは、ありふれた雑誌の1ページを看板並みのデカさにうつしとってて、またもやボンヤリ。人は霞がかかってるとツイ目を凝らしたくでしょ?作家の創作で深度が増すのか、鑑賞者の想像で深度が増すのか、どっちが先かわからんが、既存の物を再構成して新たなイメージを降臨させてるよ。

それと、人物がモチーフのフォト・ペインティングは、昔の映画の手描き看板を連想しちゃう。ただ、同じように写真ベースの絵なのに、なぜ着地の印象がこうも違うのか。看板は、対象商品が最も輝くように意味の伝達に焦点を当てるわけだけど、リヒターの絵は対象から意味を分散させ、写真の中に潜む過去の時間をむき出しにしてるように見える。なぜか即物的なはずのむき出しの方が、感情が動くから不思議👀

【遠回り ⑥】じぶんが映画好きだからか、ついフォト・ペインティングに気を取られるけど、リヒターの創作活動は他にもたくさんのシリーズが展開されてて、どの実験もキッレキレ。なんだか独りで絵画の歴史と未来を背負ってる風ね。思わず図書館で2005年に日本で開催された回顧展の図録を借りてお勉強した。研究者が多すぎてスゴイ本になってますが…💦(※写真家の畠山直哉氏の文章がすごくイイ!)

【本丸 ①】さて前置きがやたら長くなりましたがようよう本丸へ。ひとりの作家の全貌を知るには、制作年に沿ったレイアウトの回顧展はありがたいですね。あと、実物じゃないと到底イメージが及ばないシリーズがあるので、ブラボ~美術館♫です。例えばキャンバスを灰色の絵具で塗りこむグレイ・ペインティングのシリーズ<グレイ(CR401)>('76)。緊張するわー、こんな均質灰色に塗れませんから~💦

リヒターは作品にガラスや鏡をよく用いてて、反射によって展示する場の情報が絵の表面に写り込み、それも含めて作品として成立させてるの。次の<鏡、血のような赤(CR736-4)>('91)は、赤い顔料を吹き付けただけのガラス。日常空間に設置されてたら一顧だにしないだろうけど、美術館だと足が止まり…もしかして騙されてる?(笑)

なんなんだろうね…リヒター作品に引き寄せられる理由って。個人的には風景画のシリーズがお気に入りで、今回一番胸をうたれた1枚も62✕57cmの小ぶりの油彩風景画<ユースト(スケッチ)>(2004)。おそらく単純に作品を窓だと思って眺めてて、じぶんにしっくりくる景色の前で、足を止めてしまうってことなのかな。

1980年代後半から作り始めたオイル・オン・フォト。写真に絵具を塗りたくったシリーズです。面白いよね~。写真のレイヤーの前に抽象画のレイヤーを重ね描き、ありえないくらい見事にハモってる。かなり大胆な色使いで絵具を盛ってるのに、仕上がりは軽やかかつシックで驚くよ。真似のできない手練れな窓を眺めて超興奮★

一方2010年から制作を始めたアラジンというシリーズは、さながらウインドウショッピング気分を盛り立てる小窓のよう(笑)。何色かの塗料を板の上に載せて➡かき混ぜ➡上からガラス板を載せて圧かけて…作家の意志と偶然が半分半分の実験作品。ベテラン保母のマブダチRがポツリひと言…「園児にやらせてみたいな」だって🎨

そして最後はアブストラクト・ペインティングのシリーズから<3月(CR807)>('94)。へらみたいな道具で絵具をのばし、何層にも重ねて描き上げるこのシリーズは、一見ジャガード編みのような構成にも見えるけど、織りと違い、法則性を裏切り続けるところにポイントあり。使う道具のアナログ加減が偶然性を生み出してて、ここにこそリヒター絵画の狙いがあるのかな

わたしが美術作品を眺めてていつも考えるのは、「どこで手を止めて終わりにするんだろう…」問題なの。特にリヒターのような抽象度が高くて偶然性を取り込んだ作品の場合、手を止めるタイミングを見極めるのが一番難しそうな気がする。やっぱ頭の中にたどり着くべき風景を捉えて描き進めているのかな…。制作現場を見てると、迷いがないんだよね。静かな格闘技の印象さえある。ただリヒターの作品ってユーモアが一切ないからさー、肩がこっちゃって(笑)。


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うーん、わたしにとってリヒター展は、夢中になって見れば見るほど半信半疑になる世界だった(笑)。いろいろな美術評論にも目を通してみたけど、わたしの読解力ですっと飲み込めるものはなく、未だ霞がかかったままよ。そう、確かなことは1点だけ!ドイツのドレスデン出身の彼が1932年生まれの90歳で、なんと我が母親と同じ年だという事実ですよ。いやー、母と同じ時代を生きているんだとわかった途端、現実の人間なんだと急速に身近になったわ(爆)。〆は20代前半のふたりの写真で!

そうそう、下世話だけど、60歳過ぎて3人目のヨメとの間に息子と娘が生まれてる事実に顎が外れそうになった!リヒターは美術界のクリント・イーストウッドか?ってことは、まだまだオレサマ続けるだろうね😊

ゲルハルト・リヒター展 2023年1月29日まで豊田市美術館で開催中

PS 次回は11/13更新です