勝手にシネマ評/『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』('16)
本作は、ビルボード5週連続1位を記録し、1979年を駆け抜けたあの大ヒット曲、ザ・ナックの『マイ・シャローナ』で幕を開けるが、お笑い番組「アメトーーク!」とは何の関係もない。しかしこの映画を「アメトーーク!」以上に笑えるとしたら、あなたは間違いなく50歳以上の男子だろう(笑)。いや、もしかしたら、笑いながら鼻の奥をツーンとさせてしまうかもしれない…。いずれにせよ、“定年からの逆算”なーんていうチマチマしたことを考えているヒマがあったら、今すぐ劇場へ。さあ、愛すべきバカ野郎どもがとぐろを巻く世界へLet’s GO!だ。
『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』(なっが!)は、1960年生まれの監督、リチャード・リンクレイターの自伝めいたドラマになっているという。いちおうそういう触れ込みだが、そんな背景などどうだっていい。極めて単純なお話だ(苦笑)。冒頭、カー・ステレオから流れるマイ・シャローナをBGMに、錦織 圭似(!)の主人公ジェイクが愛車に乗って登場する。もちろん彼の視線は車窓越しに花開く女子たちのBODYに一直線だ。我らがジェイクは天国へ降り立った!地元を離れ、今から大人のとば口=大学生活が始まろうとしているのだ。
ここで監督は、さらに映画を一筆で単純に記そうと、テロップを出して時間軸を見える化する―1980年8月28日 新学期まで3日と15時間―とカウントダウン表示。これは、時間の流れの中に「生の感触」を散りばめて差し出す、リンクレイターの十八番と呼びたいダンドリだ。さて、この勢いで期間限定のショータイムが始まるのか、それともその先の新学期に焦点を当てるのか…。判然としないまま、我々も太陽がやけに眩しく輝く南東テキサス州立大学に釘付けとなる―。
野球推薦で入学したジェイク。まずはお気に入りのレコードを抱えて野球部の寮に意気揚々と到着だ★ ところが名門野球部の先輩たちはクセ者揃い。シャレにならないようなイジワル歓待を浴びせるが(汗)、受けるジェイクもキョトンとするだけの鈍感ぶりで、ノープロブレム。そうだった、舞台は1980年のアメリカだった。何せ、映画俳優が第40代大統領になってしまう鷹揚(?)な時代のお話なのだ。よく見れば、新人を茶化す絵には身に覚えがある親和性を湛え、逆に「なぜあの頃はあんなじゃれ合いが成立してたのかなあ…」と、ツイ釣られて我が身を振り返ってしまった。茶化す方も茶化される方も役割をわきまえ、「ごっこ」で場を温め合うコミュニケーションがまだ通じていたのだ。
でもって、野郎どもは早々に新人を引き連れ、女子寮を冷やかしに車を走らせる。シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」を大合唱しながら、車窓から女子のケツ…いや、お尻等を品定めするシーンの感動的なバカっぷりに、私は早くも涙が出そうになった。いやー、映画でさえ、もはやこんな見事なナンパ絵、拝見できるものじゃございません。一体あの手の男たちはどこへ行ったのか?対する女の子側も手慣れたもので、ヒマなら相手してあげてもいいわよ風にあしらいスイッチのON&OFFが明快。やるなあ~。男女ともに、後腐れないナンパの極意(?)が初期設定されていた時代だったということか。そして、ここからどんな展開が待ち受けるのかというと…実はこれだけなのである(汗)。昼間は野郎同士でグダグダに戯れ、夜はナンパに全力投球するだけ。見事に何もない。ではいったい勝因はどこにあるのか―。
ひと言でいうと、これといった目的が何もないままの状態で、映画をずっと動かし続けたということ―これに尽きると私は思う。例えば野球部の主なバカ野郎メンツは12人。ギャンブル狂、口説き屋、精神世界好き、田舎者、妄想癖、ピッチャー嫌いetc…と、どいつもこいつも与太話とそれに付随するアクションによって濃厚な痕跡を残すキャラなのだが、それだけで収まってもいない。顔と名前を覚えようにも全然追いつかないほど、奴らを画面に出たり入ったりさせるところがミソなのだ。
とにかくジェイクの入寮日から、たかだか3日半のスケッチなのに、一体どんだけ盛ったら気が済むんだあ~と、半ば呆れるくらい取り留めのないエピソードを小刻みにつなぎ、ある種のグルーブ感をもたらしている。しかも悪乗りには節度があり、むしろカラっとした無常観をもったいぶることなくスクリーンに立ち上らせ、ちょっと意外なほど奥行きがあるではないか!そう映画は、体育会系の瞬発力と文学的な趣きの両刀使いによって、すべての生の瞬間を、観客と分かちがたく結びつけるのである。一見ラフに映るが、なかなか緻密な演出なのだ。
そして新学期を明日に控えた3日目。待ちに待った本作の“結びの一番”が顔を出す。野球部の自主トレである。すっかり忘れかけていたが、奴らは選ばれし野球エリートだった(笑)。オシャレしてディスコへ繰り出し、カントリー・バーではラインダンスに興じてみせ、場違いのパンクLIVEへももぐりこんだりしていたが、最後にようようじぶん十分になれる場所=グランドへたどり着いたというわけだ。まあ、このくだりのカッコいいこと!自主トレとはいえ、互いの手の内を初めてオープンにするお手並み拝見の場で、先輩どもが風格の違いをまざまざと見せつけて、新人たちをノックダウン。実力がモノを言う世界の洗礼を浴びせつつ、また同時に、チームのことを考えないプレイヤーはさらに最低との烙印も押す。散々奴らを分け隔てなく笑ってきたからこそ、プライドのぶつかり合いを目撃したときの感慨はひとしおだったなあ~。改めて、野球の輝きが何によってもたらされるのかを垣間見るようで、私には忘れられないシーンとなった。
しかして最後はまたまたドンチャン騒ぎ♫ スポーツ雑誌『Number』みたいな美談余韻でシミジミさせるのではなく(笑)、野球部みんなで水遊びに呆けて夏休みが終わる。ただし、先に与太話とナンパ以外は何もないと書いたが、大切なものがありましたよ!バカ野郎どもの頭の上には、いつも極上の“青空”があったのだ。どこまでも広がる青空の下での記憶…。なるほど、これが過ぎ去った後でしかわからない、青春っていうやつの正体かもしれない―。
11/25(金)まで 伏見ミリオン座で上映中
『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』予告
『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』
2016年/米国/カラー/117分
監督/脚本 リチャード・リンクレイター
撮影 シェーン・F・ケリー
音楽監修 ランドール・ポスター
メーガン・カリアー
キャスト ブレイク・ジェナー
ゾーイ・ドゥイッチ
PS 次回は11/30にUP予定。紅葉真っ盛りの鶴舞公園を案内するよ♪
ラジオな時間 📻
家で寛いでいるときの基本音源は、ラジオだ。休日は朝から、平日は仕事から帰ってすぐにスイッチON。TVとラジオの大きな違いは、局を変えないことですね。他のリスナーはどうなんだろう…。ラジオもザッピングするのかな…?私の場合、ここ14~15年はNHK-FMオンリーだ。民放は馴れ馴れしすぎてお腹いっぱいになってしまうし、DJが早口にまくしたてるFMも邪魔くさい。その点NHK-FMは、音楽ジャンルの幅が広く、サラっと後腐れなくお付き合いでき、付かず離れずいい距離感で視聴できる。それも、ちょっと離れたところに置いたラジカセ(!)から、聴くとはなしに聴くかんじがお気に入りのスタイル。遠距離恋愛型ね(したことないけど…笑)。
台所仕事をしながら、アイロンがけをしながら、掃除に手芸に手紙書き、もちろんこのブログをしたためている今もラジオから流れる音とともに活動している。つまりラジオは私のルーティンワークの相棒なのだ。正直言って、内容の8割は頭に入っていないが(汗)、いいのよ、欲しいのは世界とじぶんを耳でつなぐ“窓”なのだから。
NHK-FM 聴きどころ番組 ①
私の夕飯作りタイムの相棒が『夜のプレイリスト』。ゲストが一人でアルバムを5枚紹介できるというなんとも贅沢な番組だ。愛聴版にまつわるゲストのエピソード語りも、長すぎず、短すぎず…ちょうどイイ。5日間聞き通すと、ゲストの人となりが、すーっと浮び上がるダンドリだ。例えば10月に登場したコラムニストの泉麻人が選んだ5枚はこちら―
・加山雄三 「加山雄三のすべて〜ザ・ランチャーズとともに」 (1966)
・荒井由美「MISSLIM」 (1974)
・SUGAR BABE 「SONGS」 (1975)
・Sons Of Sun「海賊キッドの冒険」 (1972) ※マニアックなのも入れてます!
・Neil Young 「Harvest」 (1972)
最初の3枚と後の2枚が共存するところがいかにも泉。昔話をしても個人の話に閉じないのよね。声質もラジオ向き。いい語りだったあ~♫
NHK-FM 聴きどころ番組 ②
どういう位置づけなのかよくわからないお笑いタレントふかわりょう(汗)。ただこの番組では、やることなすことピターっとハマってる!目玉の企画コーナーは、一言でいうと、視聴者参加型のクラシック音楽の大喜利だ。オペラやミュージカルの曲の中から日本語に聞こえる部分を紹介する「空耳クラシック」、文学作品の一節にクラシックのBGMをつけて妄想する「BGM選手権」、クラシック音楽にサブタイトルを付ける「勝手に名付け親」、そしてクラシックのイントロクイズ「きらクラDON!」など、バラエティ番組の基本企画をクラシックに持ち込んだことで、妙に新鮮に感じられるの。
それにラジオってさー、偏差値高めの文系男子がサラっと御託を並べる場にもってこいなんだよねー(爆)。BSプレミアムより、ビジュアルが必要ない分、100%オタク度発揮できるし(笑)。
NHK-FM 聴きどころ番組 ③
オタクと言えば『ラジオマンジャック』!私の週末の作り置き惣菜仕込みタイムの相棒がこれ。DJ赤坂泰彦がハイテンションの突っ込み役となり、毎回1テーマを決めてショートコントを連発する内容だが、声で芸する出演者たちが粒ぞろいだからLIVE感がハンパなく、豪華なエンターテイメント劇場と化している。毎回どうまとめるのか、内心ヒヤヒヤしながら聴いているのだが、ギャグも皮肉もタガが外れ切らない一歩手前で上質に着地。赤坂が理想とするラジオ天国な世界はクセになる!
NHK-FM 聴きどころ番組 ④
まさに“5分間のサウンドトリップ”―『音の風景』は私が最も心躍る番組だ。例えば好きな音楽は?と聞かれたら、私の場合、ジャンルやミュージシャンは思い浮かばず、日常のノイズに音楽を感じている節がある。自慢じゃないけど、楽曲の聞き分けとか、ぜんぜんできないのよね…音楽のセンス、ゼロかも(汗)。その代り、開け放った窓から聴こえる様々な音に勝手に思いを馳せたりする。他の階の住人の生活音が騒音にならないの(笑)。だから『音の風景』と出会ったときは鳥肌が立った…じぶんが求めていたものはこれなのよ!と。番組の一部がここから視聴できます。土地と音の結びつきをぜひ堪能してみて。
NHK-FM 聴きどころ番組 ⑤
NHK-FMといえば『世界の快適音楽セレクション』でしょう~♪ 土曜の朝の2時間、ちょっとユルめのスタートにもってこいの、好感度たか~い番組だ。朝食の片づけ⇒掃除&洗濯タイムの相棒にしてすでに10年以上になる。選曲の幅の広さと趣味の良さに毎回たまげるが、やっぱゴンチチありきで成立しているね。どちらかと言えばふたりともボケの役回りなのだが、単なるおっとりしたいい人キャラだけで終わらず、個々の個性がキラリ輝く。そういえば、この番組でたまたま耳にして、その後速攻でCDをゲットした経験も2度ある(苦笑)。ANTONY AND THE JOHNSONS『THE CRYING LIGHT』と森進一のカバーアルバム『Love Music』。どちらもヘビーローテのアルバムとなってるよ。トレンドなんていう野暮な括りとは無縁の、いろんな意味で信頼を寄せるお気に入り番組だ。
NHK-FM 聴きどころ番組 ⑥
お紅茶と、猫足の家具と、レースのカーテンが揺れる洋館をイメージするエレガントなコーナー。タイトルも『弾き語りフォーユー』だって(汗)。あまりの浮世離れ感に「なめんとんのか~!」っと突っ込みたいところだが…なぜだか悪くないんだよな~これが(笑)。進行役の小原孝のなりきり度の高さに、恐れ入りましたと感服するばかり。昨今、どんなに気どったタレントだろうが、笑いで自らを茶化さないと許されない空気があるが、 時代におもねることなくサラリと貴公子振る舞いを貫くのは、あの羽生結弦と、ニットデザイナーの広瀬 光治と、この小原氏の3人くらいではないか(笑)。一昔前の少女漫画に出てきそうなキャラ作りにプロ道を感じてしまう。いやいや、もちろん聴きどころはテクです!なにもそこまでやらなくても…とシンパイになるくらい、演奏しながらガンガン即興でアレンジ(汗)。ご本人、意外と貧乏性だったりして?…と密かに想像しております、はい。
この他にも、洋楽2大ご意見番の渋谷陽一とピーター・バラカンがそれぞれナビゲーターを務める名物番組や、『今日は一日○○三昧(ざんまい)』と題し、さまざまな音楽ジャンルから一種類のジャンルだけにスポットを当てて、丸一日ドップリハマらせる特集番組があったりと、コンテンツは絶えず充実★しかも、その合間に、浪曲はあるわ、邦楽コーナーも多種あるわ、基本のクラシックがてんこ盛りだわのワンダーランド。FMでもラジオ深夜便が聞けるしね~。NHKアナウンサーの低く落ち着いたトーンを深夜に耳にすると、ガサツな私の胸の内にも懺悔の気持ちがフツフツと湧いてきてしまう(涙)。
私が理想とする人生最期の設定は、「病院のベッドで大相撲中継(できれば中入り前)をぼんやり眺めながら」と「ラジオ深夜便を耳にしながら」の2パターンだ(笑)。願わくば、そんな日常の延長で夢見るように眠りたい―。
PS めっきり寒くなってきました…。次回は11/20にお会いしましょう。
同志発見!にホクソ笑む😊
何がうれしいって、「おっ、こんなところに我が同志、見つけたり!」と、胸のうちで快哉を叫び、小さくガッツポーズするときくらい、うれしい瞬間はない♪ 物体からなのか、匂いからなのか、情景からなのか、言葉からなのか…その時点では何が引き金になったのかはよくわからないのだが、じぶんと共通のパッションを感じた最初の出会いがしら体験は相当甘美なものなのだ。でも私は、甘いがゆえに、その幻惑に塩をすり込むことも忘れない。面倒くさくてイヤな奴です、はい(苦笑)。
つまり、じぶんの直観をすぐさま信じられないタチなので、しばらく寝かせ、“メガネ”を様々に変えて定点観測に挑む。「何に魅かれたんだっけ?」「それは本当か?」と。定点観測時の試験薬はズバリ「時間」。時間を介在させることによって、対象とじぶんが予期せぬ化学反応を起こす関係になったとき、ガッツポーズは確信になるのだ!
例えばSAKUちゃんの絵
こどもの絵はヤバイ。劇薬である。Yちゃんの一人娘SAKUちゃんは、お絵描き&工作が大好きな4歳。Yちゃんからの便りに同封されてくるSAKUちゃんの絵が、毎回ガツンとパワフルなので、その勢いにつられ、なーんちゃって表装をして自宅に飾っている。
左から右へ時間経過。どちらも私の肖像画らしい(笑)。こどもにとってメガネのインパクトは大きいんだね。髪の毛とメガネはこう描くのだ!をじぶんの中で形式化してて面白いなあ~。
やがてディズニーのキャラクターがモデルに登場。左は『塔の上のラプンツェル』、右は『リトル・マーメイド』のヒロインとか。顔のアップだけだった絵が、ここで身体を取り込む絵に変化したんだね。アニメで全身の動きを追い駆けるようになったからなのかな?でも、いまのディズニー・ヒロインたちの媚びたビジュアルより、SAKUちゃんの絵の方がミステリアスでダンゼン好き!
ジャーン!そして前出の1か月後の作品がこちら。なんと画風がパピエ・コレにまで及び、マジにたまげた。モチーフは白鵬だって…。ピロピロっと貼り付けられた紫と緑の部分はもしかして廻し下がりか?早くもついて行くだけで精一杯だ(汗)。
そして最近、SAKU画伯のアトリエ訪問に行って来た!
SAKU画伯のママは、とーってもセンスがよいので、いい塩梅に娘の力作を貼りだしているのだが、実は飾りつけには画伯もけっこう注文を出しているらしい。このコーナー、好きだったなあ。一番右の作品に注目。一度書いた絵を解体し、向きを変えてコラージュしてるのよ。はい、まるでパウル・クレーのテクです★自然にやってしまっているところがなんともスゴ過ぎ(汗)。
キッチンの一番目立つところには、私が画伯に送った手作り人形たちと、画伯の絵のコラボコーナーが展開されててワクワクしたなあ~。そう、互いの家で、飾りっこしてる関係性はまさに同志。これぞちんぴらトリエンナーレですな(爆)。
例えばSOMAの絵
10年以上前のこと。Nちゃんちに遊びに行ったときに遭遇した、息子SOMAのいたずら書きにも衝撃を受けた。こどもの絵はほんとヤバイ。当時3~4歳だった彼は、恐竜がマイブームで、全身恐竜ワールドの住人と化し、寝ても覚めても恐竜の絵を描き綴っていた。ママのNちゃんはそれに無頓着というか、ガンガン書きまくるSOMAの絵を、溜まるとそーっと処分していたみたいだが(お母さんはその現実感が大切だものね!)、私は密かに共通のパッションを感じてしまったのよね~。
その後ちょっとしてから、今度はNちゃんがSOMAを連れて遊びにやって来た。SOMA画伯とはこの時が初対面。この機会を逃すまいと、紙と筆記用具を渡したら、まあ描くわ描くわ…恐竜LOVEの暴走をLIVEで目撃して、たまんなかったなあ~。中でも入魂の1枚がこちら!
ハァ、かっこいーい!この勢いMAXの見事な線!2度と再現できない無我夢中の瞬間がここにはある(涙)。友人から誕生日にもらった額で額装し、あれ以来ずーっと部屋に飾っている。訪問者たちの目にも飛び込んでくるのか、「これは誰が描いたの?」と問われることもしばしばだった。
そして去年、10年ぶりにYちゃんが再びやって来た。あのSOMA画伯は中学2年生になり、恐竜LOVEの生活も様変わりしているらしかった。まあ普通そうですよね(笑)。
ところが、YちゃんがSOMA画伯に私のウチへ遊びに行くことを話したら、「これ持って行ったら…。」とこっそり恐竜画を描いて渡してくれたのよ~(涙)。さーすが同志♥つまり、あれから10年後の恐竜LOVEがこの絵。いま、2枚の絵を並べて飾っているんだけど、ほとばしるパッションが変容し、繊細で内省的な絵になっているのよね。人はこうやって大人になってゆくんだなあ…、その変遷が何より感慨深い。それに、見知らぬちんぴらの家に自分のこどもの時の絵があるって、タイムカプセルみたいで面白いでしょ(苦笑)。すかさず、さらに10年後、「24歳になったらまた描いて!」と発注しておいた―。
例えばSAYUちゃんの絵
東京で暮らすSAYUちゃんは前職の同僚。今度はこどもじゃないよ~、でもヤバイよ~(笑)。彼女は、目下、育休中の美人ママ。初めての子育てを大いに楽しみながら、その合間に、ユニークな絵ハガキ便りを送ってくれるのだが、これが毎回大ウケ!
既成の絵ハガキに、私と思しきキャラのイラスト(!)を丁寧に描き込んで送ってくれるのよ。そう、SAYU画伯最大の特徴は、地の絵ハガキの持ち味を活かし、絵の世界観に私を溶け込ませてしまうところですね。まるで『ウォーリーを探せ』状態だ(笑)。
この夏、SAYU画伯はデトロイト美術館展に行き、私を描きたい絵を見つけてしまったらしい…。それはマチスの『Coffee』(1916)。私もこの絵はナマで見て、お気に入りの1枚!「光栄だわ~。」…とウットリしてたら、ウチでお好み焼き会を開いてもてなしたときの想い出が描き込まれているではないか(左手のヘラに注目)。タッチがちゃんとマチスの画風に呼応してるところがタマラン。この際タイトルも『ホットプレート』(2016)に改変だ(笑)。
そして、これが届いたときは腰が抜けそうになった。香港のデザイナー、アラン・チャンのポストカードに私が登場している!と…じぶんでも錯覚(爆)。どうやら42体、全部の顔を私仕様に書き込んだらしい。ところどころ水着の柄を変えたり、3列✖3行目の左手にはまたもや“お好み焼きのヘラ”が描かれているのよ!ブラボー、クレイジーSAYUバンド★
最新作は、恐れ多くも、103歳の現役美術家・篠田桃紅の『初心』に登場させていただき、恐縮です(汗)。いやはや、初心も初心、わたくし桃紅女子の半分しか生きていないひよっこですが、ありがたき幸せ也。子育て画伯は、劇画タッチまでこなし始め、こども画伯たち同様、侮れません。このパッションがあれば鬼に金棒ヘラ。次回はフェルメールあたり、いかがでしょうか?(笑)
ということで、我が同志たちは、これからも間違いなくひとり遊びに磨きをかけることでしょう。今後もしかと定点観測させてもらます!
PS 次回は11/10にUPで~す
勝手にシネマ評/『彷徨える河』('16)
アマゾンの密林が舞台のモノクロ映画『彷徨える河』。
とりあえずアマゾンと聞いて、私のお粗末な想像力ですぐに浮かぶ設定は、<先住民族VS侵略者の攻防史パターン>と、<科学で解明できない自然神への崇拝パターン>の2つだけ。だから「結局はそのどちらかに収まるだけで、さして目新しくもないんじゃねーの?」と期待は薄かった。ところがフタを開けたら、想定内に関わらずベラ棒に面白い!2つのパターンを両方盛り込んでなおかつ、娯楽映画の胸騒ぎをキープ。ずーっとワクワクし通しだった!
ではその勝因は何か―。まずは肉体の説得力だ。先住民族唯一の生き残りとして、開口一番に登場する青年カラマカテ。カメラは彼を足元から舐め、ふてぶてしくて剛毅な面構えを捉え、ほぼ全裸に近しい後ろ姿までイッキに撮り切る。たかだか数分のファーストショット、だが速攻、我々の意識はアマゾンへ持っていかれる!ツイさっき食べたランチのことも、急ぎで返信しなきゃならないメールのことも、すべて抹消。呆けたようにスクリーンに注視するだけの状態になるのだ。カラマカテ、お前は一体何者だ?
大ぶりな首飾りと腕に巻き付けた羽、股間のみ覆う紐パンに、手には長~い棒を持つ男。自前の筋肉そのものが衣服のように映え、それも“隆とした身なり”ってヤツにまで昇華しているではないか。素人目ながら、ゴールドジム+プロテインの筋肉とは違うのよ…もっと粋筋なのよ!と思わず口走りそうになった。そう、すっかり映画のマジックにノせられ、梯子を外されたわけだ。
さて、ビジュアルの次に吸い寄せられたのが対話である。これまた勝手な思い込みなのだが、未開の地への探検ドラマとなれば、コミュニケーションが図れないのが前提となるはずだが、ここでは冒頭から対話が花盛り。意表を突かれた。
ある日、不治の病に侵されたドイツ人の民族学者テオドールと、先住民族出身の案内人マンドゥカが、カラマカテの呪術を頼りに来訪。白人侵略者たちへの恨みが根深いカラマカテは、一度は拒絶するが、唯一の治療薬となる植物“ヤクルナ”探しの旅へ同行することになる―。
はい、そうです、奇妙な組合わせの3人がカヌーに同乗し、大アマゾンを移動するロード・ムービーの体裁となるのだ。民俗学者だから言葉の壁がないのだろうけど…話が早いね(笑)。しかも先住民族の言語(一体何語?)が、コロコロと鳴り響く魅力的なイントネーションで、イチイチ耳に心地よい。音声素材を表現に取り込めるのも映画のマジックを強める一手だと痛感した。
もちろん旅の途中の会話の中身がこれまた上等!モノに執着するテオドールを「正気じゃない」と諫めたり、「雨の前に魚を食べてはダメだ」など禁忌を連発してハッとさせたリ、妻への愛を手紙に綴るテオドールを可笑しがったりと、映画はカラマカテを通じてカルチャーギャップを提示し、科学的進歩に疑問を投じるくだりとするわけだが、カラマカテの知恵者ぶりが心技体を熟成した果ての簡素な美しさで迫ってくるため、くすぐりにもったいぶった匂いが感じられない。やがて警戒心をほどき合い、会話を重ね、互いの意見と人格を整理しながら静かに信頼関係を育んで行くプロセスに、私はメロメロになった。
そして映画には、もう一つ大きな仕掛けが用意されている。20世紀初頭の3人の旅と並行して、それから数十年後の老いたカラマカテの現在が挿入される。そのお姿は、枯れてなお鳶の頭のような風貌で、藍染の半纏でも羽織らせたらとびっきり似合いそうだが、時を経て記憶を失くし、孤独の淵にいるらしい。そこへ欲深く不眠症のアメリカ人植物学者が現れ、全てを忘れて無(チュジャチャキ)になったカラマカテを誘い出し、再びヤクルナ探しの旅に出掛けるシークエンスが描かれるのだ。
ネタバレになるのでここには記さないが、過去の3人旅がこの先どういう末路を辿るのか?…河べりに舟を乗り着ける度に遭遇する悪夢の連続に終わりは来るのか?…ヤクルナは見つかるのか?…テオドールたちとの交流は?…等々、その後の2人旅からも同時に過去の出来事の行方を推察することになり、我々は聖なる植物を巡って突き進む2つの時間に絡めとられる。そこには、河の流れと呼応した出口が見えない欲望深き横の展開と、ジャングルから天空に向かって縦へ縦へと伸びるシャーマンの精神世界が出現し、やがて驚くべき結末へとジャンプする。ケレン味たっぷりに描かれる、聖と俗がせめぎ合うスケッチの数々…そのどれもが夢見るようであり、繰り返される弱者の悲劇を予感させるようにも映る。
交錯する2つの旅は、共に病に苦しむ知識人が一方的にカラマカテに接近して始まるものだった。なんやかんやと理屈を並べても、行き詰まった合理主義の果てに尚、科学的裏付けがなされなくとも、使えるものは出涸らしになるまで使い切ろうとの魂胆が透けて見える残酷な設定である。しかし、映画はラストで安直な二項対立劇をうっちゃり、命さえない世界を覗かせた。何と、カラマカテから刃を向けた相手へバトンをつなぎ、スクリーンをカラーに一変させ、我々をコイワノ族の末裔に化けさせる幕切れの鮮やかなこと!お~っ、こんな大風呂敷ならどこまでも広げていただきましょう。やっぱ映画はこうじゃなくっちゃ★ しかも私は未だに梯子を外されたまま、宙吊り状態に浸っている―。
まったくの余談だが―監督のシーロ・ゲーラは「多くのコロンビア人はアマゾンについて何も知らない。だから調べて、映画にした」という記事を目にした。なぜかそのとき、桂離宮のことが頭をよぎったんだよね。初めて桂離宮を訪れたのは7年前。身をやつすようにひっそりと佇む敷地内に、無限の宇宙が広がっていようとはツユ知らず、かなりの衝撃を受けたのだが、その興奮を伝えようにも、「聞いたことがあるけどそれ何だっけ」?と返されるばかりで意気消沈…。監督みたいに作品にしてフィードバックはできないし…(苦笑)。八条宮家三代に渡る美意識の結集はアマゾンの密林とは対極の徹底した人工物なのだが、引き戸の向こうとこちらは別世界で、我々とは異なる時空が宿っていることだけは全身で受け止めてしまった私(汗)。以降、ずーずしくも、「日本人のやることもまんざら捨てたものじゃない!」と、桂離宮は私の心の拠り所になっている。それにしても、アマゾンの密林映画を見ながら、桂まで想像が広がるとは…。優れた映画と接触すると予想だにしない化学反応が起こるもの。だから未だ劇場通いが止められないのよね(苦笑)。
11月19日(土)~12月2日(金)
彷徨える河
2015年/コロンビア・ベネズエラ・アルゼンチン合作/モノクロ/124分
監督 シーラ・ゲーロ
撮影 ダビ・ガジェゴ
脚本 シーロ・ゲーラ
ジャック・トゥールモンド
キャスト ヤン・ベイブート
ブリオン・デイビス
PS 次回は10/31にUP予定。またお会いしましょう♪
あいちトリエンナーレ2016✑ 備忘録②
さて「あいトレ2016」備忘録の2回目は、遅~い夏休みを利用し、半日かけてぶらついた名古屋地区編です。金曜の午後は、メインの美術館が20:00までOPEN。時間を気にせず回れてオススメよ。それと、意外と空模様も重要!美術館以外の場所での展示は、雨天は避けたほうが無難だね。会場が細かく分かれているから、イチイチ傘をさしたり閉じたりは面倒だと思うので(汗)。荷物も最小限にして行きたいしね。―ということで、後半戦も個人的に気になった作家の紹介でLet's Go!
名古屋市美術館からスタート!
▶ここでは1Fに展示された2人の作家に注目した。1人は館内に入って右手に並ぶアブドラ・アル・サーディ。アラブ首長国連邦出身の作家と遭遇するのは初体験だ。『比較通―スイカシリーズ』('13)は、スイカのイメージを飛躍させ、架空の風景を捏造(笑)。鼻の先にスイカのあの甘青い匂いが漂ってきそうな山肌と、稜線に“建築的”な趣きがあって、困惑しながら新しい惑星に降り立つような気分を味わった。
立体物がまたいいのよ~。動物の骨を使った彫刻作品シリーズ『腔間構成』('91)は、どれも挑発的なポーズをとる裸婦像に見えて色っぽい★ご本人もええ男♥
▶もう1人は、サーディの対面に展示されているブラジル出身のマウロ・レスティフェによる写真作品。2週間にわたり愛知県内で撮影した19点を発表している。
レスティフェは曇りや雨模様の日に好んで撮影するとか。だからなのか、プリントされた粒子の質感がめちゃくちゃ美しくて、吸い込まれそうになった。それとフレーミングが非常にユニーク。例えば上の写真の右から4つめ―建物とそこから抜けた空とどちらを狙っているのか判然としない…。いや、常に1枚の写真の中の構成を、全体最適で捉えていて、やたら密度が濃い。遠くから眺めてもクラクラするほどの存在感があった。
時間に余裕を持って中央広小路ビル!
▶前回の備忘録①で「あいトレ」は映像作品が収穫だったと書いたが、沖縄出身のミヤギフトシも2本の短編『ロマン派の音楽』('15)『花の名前』('15)で強く記憶に残った。そのミヤギは中央広小路ビルの2Fで新作も発表。北海道を起点に侵略や弾圧で失われたいくつもの歴史と悲しみを、海の映像に込めたインスタレーションで展開している。
異なる5本の映像がループで流れているので、まずはどれでもいいから試しに1本覗いてみて!風景にナレーションが被るだけの10分足らずのシンプルな作りなんだけど、これがじわじわと胸に染みてくるの。テキストと情景、どちらにも憂いがあって、知らないうちに現実の時間から浮遊してしまう…。1本見ると、必ずもう1本見たくなるから、時間にゆとりをもって出かけてみてね。
長者町会場 堀田商事ビル3F!
▶これまた全く知らないアルゼンチンの若手作家アドリアナ・ミノリーティ。一見既視感があるようなCGだが、よく見ると非常に作り込んであって見応えあり。ヘボくもエロくもない(苦笑)。むしろ揺るぎない世界観の構築に目を見張る。女性作家と知ってさらに驚いた。
本丸、愛知芸術文化センター!
▶最後は本丸となる芸文センターだ。2フロア(8Fと10F)に分かれているから注意してね。出入り自由の地下、屋上庭園、展望回廊にも展示があるのでお忘れなく♫
▶で、ここで魅かれたのは、まず10Fの三田村光土里。「わたしにわかることは、ヒモは必ずからまるということだけです」などの走り書きと、日用雑貨などで構成されたインスタレーションは、緊張と緩和のバランスが天才的で、あらゆるモノが息をしている。どこを切り取ってもスリリングな絵になって見えるのだ。
実年齢はほぼ同世代なのに、手垢にまみれることなく恐れしらずな10代のハートを持つ人。非常に気になった。
▶そのお隣の部屋は、オランダ出身でベルギーを拠点に活動しているマーク・マンダース。全美術プログラの中で、私が最も動揺した作家だ。ビニールクロスや建築素材、新聞紙などの即物的な質感で拵えた簡易ギャラリー風な空間に、朽ちかけて歪なポーズの彫刻(ブロンズだとか!)がそっけなく置かれている。これがカッコいいのなんの…心拍数が上がってヤバかった(汗)。
あー、お泊りしたかったなあ~(笑)。私にはこの空間がとんでもなくエロティックな装置に見えて、一晩お付き合いしないと味わい尽くせやしない!と焦った。イメージに酔うのではなく、あくまでリアルな場としてフィットしたのだ。
五平餅(!)状態の少女に、ネズミと抱き合わせの犬(狐?)、ヒビ割れた部分をそっと撫でたら、じわじわと泉が湧き出てきそう…。狂気スレスレのところを転じて、すべてが可憐で愛おしい―。
Webでインタビュー記事を見つけたから載せておくね。マーク・マンダース、しばらくマイ・ブームになりそうだ。
▶8F会場では田附勝の写真に釘付け!異様なまでの熱量!な、な、何なんだこのマグマの正体は…。私は基本、展示用キャプションをほとんど読まずに“バッターボックスに立つ”鑑賞スタイルだが、1作品目からビーンボールでのけぞらされた感あり(汗)。それも村田兆治のマサカリ投球で(例えが古くてスイマセン…)。
振り返ったら、岡崎の石原邸でも新作を発表していたのだが、そちらはコンセプチュアルART風な一品で、記憶には残っていたが同じ作家とは到底思えず…。経歴も変わっているし、なんとあの『ほぼ日』に「田附勝の「めだま」の先」という不定期連載を掲載中。発言がこれまた楽しいのだ★ 私の村田兆治連想、まんざら遠くないかも…そう、全方位すべて先発完投の男気アニキみたいよ(笑)。
さて、2回にわたってお届けした「あいトレ2016」備忘録はいかがだったかな…。自分から近づき⇒実際に立ち合い⇒疑問・発見を体感し⇒Webや書籍で後追い検証⇒そして自分なりのアンソロジーに組みなおす…。このサイクルが私の生には欠かせない。
世界は広い。未知の作家とめぐり会う旅に終わりはない―。
PS 唐突ですが、目下全国一斉公開中のC・イ―ストウッド監督作品『ハドソン川の奇跡』は必見!御年86歳、実話の映画化&感動秘話を、思いっきり手離れよくサクサク作っていてびっくらよ。このジジイ、鼻くそほじりながら、軽ーくあと10本は作りそう(汗)。食事はガソリンだったりして(爆)。
次回は「あいトレ」で一足先にチェックした映画『彷徨える河』評をUPします。10/20にまたお会いしましょう~。
あいちトリエンナーレ2016✑ 備忘録①
3回目の開催となった『あいちトリエンナーレ』(10/23まで)。若干涼しくなった9月後半から足を向け、全会場を一通り眺めてきたのでご報告。まあ、私の感想なぞはナナメに流し読みしていただき、お時間があれば、やはり実際に足を向けるのがベストかと。なんたって遠足気分で体験するにはもってこいの季節だものね~♪
テーマは“虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅”。キャラヴァンサライとは、ペルシア語で隊商宿を意味する言葉なんだって。つまりこのイベントは、旅の疲れを癒す場所であり、次なる未知への旅の英気を養う家(サライ)となるよう企画されたらしい。―で結論から言うと、そんな狙いを踏まえられるシーンと、何度も遭遇したような気がするわ。
まずは極上の映像プログラム★
▶ごめんなさい(ぺこり)。映像プログラムはほぼ全部終了してるのよ(汗)。芸文センター12FのアートスペースAで、1ヵ月に渡り粛々と上映されていたのだが…きっと知らなかった人も多かったんじゃないかな。国際展チケットがあれば何度でも無料で見られるお楽しみ企画なんだけど、そもそも何を見たらいいのかあたりもつけられないくらい作品ごとの情報が少ないからね。でも私だって同じ条件。そういうときは、とにかく期待せずに行くことです(笑)。ブラっと行って2プログラム見て、「ヤッバ~い、レベル高いかも!」と慌ててそこから連日仕事帰りに通い詰めましたよ~。そして毎晩、未知との遭遇!中国、セネガル、エジプト、台湾、タイ、アマゾン、そして日本の軍艦島まで、映像探訪させていただきました。しんぼうタマランかったあ~。詳細を書き出したら夜通しかかりそうなので割愛するけど、私の『あいトレ』一番の収穫はコレ★ 簡易椅子に腰痛を感じつつも(汗)、たっぷり英気は養われたわ。
▶そして見逃した人には朗報!これから劇場公開される目玉作品もあるの♫ メモの用意はいいですかー、取り急ぎこの2本のタイトルを覚えておいて。1本目、ニコラウス・ゲイハルター監督作品『HOMO SAPIENS』('16)。人間が姿を消した廃墟(日本も登場)を、セリフも音楽も使わずにずーっと追い駆け続けるという実験的な内容ながら、退屈する暇が1秒もないドキュメンタリー。私はテンションが上がりすぎて過呼吸になりそうだった(汗)。大袈裟でなく、美の定義や、人間が築き上げてきた営みの意味が変わるくらいの衝撃作だと断言したい。特に日本にとっては、人口減少社会のリアル予測図とも捉えられる。予告にゾクっとしたあなた、来年の一般公開に乞うご期待!
HOMO SAPIENS: Berlinale TRAILER
そしてもう1本はシーロ・ゲーラ監督作品『彷徨える河』('15)。これまた魂が持っていかれちゃうよ~。めちゃくちゃ面白い!そして11/19~12/2 名古屋シネマテークで上映決定。近いうちに映画評で詳しく書くから取り急ぎ予告編を覗いてみて。聖なるものと俗なるもののせめぎ合いがタマラン。モノクロの映像美も深みたっぷりだ。
小旅行は豊橋からスタート★
▶そして本丸の美術プログラムへGO!今回は豊橋が会場に加わったので、岡崎会場と抱き合わせにして、1日小旅行気分で足を延ばしてみた。それにしても豊橋を訪れるのは一体何年ぶりだろう…。市電がフツーに走ってて驚いた。いいじゃな~い!
▶開場は駅前に点在する古いビルを利用していて、非常に動きやすい。普段の街中の表情と、作品が地続きになるのは都市型芸術祭の特徴でしょう。私はこの距離感、好きだなあ。気負わず、ノンシャランとしてて、「ヒマならのぞいてく?」くらいの導線が心地良いのだ。
▶ 黄色の壁と赤い非常階段が忘れ難い「開発ビル」会場。ここで光っていたのが、偏差値の高いおとぼけを大掛かりに展開している小林耕平の東海道中膝栗毛インスタレーション。でも、おとぼけより、私は彼の造形美が好き。よく見るといちいち美しいんだなー。出色は富士山型(!)ハードル。近所の公園に設置してほしいよ(笑)。
▶グリナラ・カスマリエワ&ムラトベック・ジュマリエフによる≪ニュー・シルクロード:生存と希望のアルゴリズム≫も思わず魅入った。バカでかいトラックが行き交うシルクロードの現在を、5面スクリーンと写真で展開。登場する人々は、けして裕福な境遇とは思えないが、彼らの日々の営みには朗々としたリズムが立ち上り、すーっと巻き込まれてしまった。AIでは補完できないであろう“生活の雑味”を味わった気がする。
▶古いコンサートホールの楽屋裏(素敵!)まで贅沢に使い、プロジェクションを披露したのが石田尚志。うーん、増殖する絵巻物が花道に見えるのはそれなりに楽しいのだが、奥行に欠けるような…。石田作品の階層の深さと翳りが好きな私はもうひとつ物足りず(汗)。
▶「水上ビル」会場では、リオデジャネイロ出身のラウラ・リマによる≪Flight≫という作品に注目した。住居全体を鳥の解放区に仕立てており、さながら我々が鳥にお招きされ、鳥たちから鑑賞されるような奇妙な感覚を味わう。これがねー、あそこにもここにも鳥がいてカワイイ♥なーんてはしゃいでばかりもいられません。急な階段を上るほどにツライ状況になるのよ(汗)。私の場合、屋上に張り巡らされたネットが自由を阻む世界中の壁のイメージとリンクしたのよね。もはや我々は、ささやかに咲く花にさえ手が届かない世界に生きているのかもしれない―。
途中に飾られたブリューゲル風な絵も忘れ難い。鳥にとっての楽園のイメージなのか?人の姿はなく、既視感があるようなないような不思議な風景。そう、ここで私は『HOMO SAPIENS』の記憶が呼び覚まされちゃったんだよなあ…ふーっ。
公式ガイドブックを参考に★
▶さてどんなにとんでもないものを見せていただいても、人間やっぱりハラは減る!公式ガイドを参考に、ボン千賀で菓子パン「くろんぼ」(中身は白あん!)を買い付け、お昼ご飯は「焼肉処 若葉亭」で網焼きランチ¥950也をほおばり、大満足★
いつもきれいな岡崎の街並み★
▶十分にお腹を満たした後は岡崎へ。メイン会場となる岡崎シビコは、今回も魅力的なハコになっていた。いきなりこんな山が現れても、なぜかしっとり眺められるんだよね。天井の低さが、かえって作品に集中させやすくなるのかな…。
▶でもって、うって変わって奥の部屋から流れるオリエンタルな楽曲に誘われ…
カイロで人気の「シャビ」という音楽ジャンルを再解釈した光と音のインスタレーションを体感。ハッサーン・ハーンという人の作品。これがねー、シンプルなんだけど、想像以上に握力が強くて、酔えるんだよね。見た目只の空きスペースなのに(笑)。楽曲が持つ熱を寸止めにし、ぬる燗にして差し出しているというか…。ずっと浸かっていたかったなあ。
▶シビコで唸ったのは野村在の部屋。壁には何かが破裂した後のような痕跡を写した写真が掛かり、中央にはひびの入ったガラス製の大きな箱がそっけなく置かれているー。どうやらこの箱の中で打ち上げ花火の実験が行われたみたい(汗)。
ガラーんとしたスペースで、唯一動いている作品≪それでも世界は周り続ける≫に吸い寄せられ、縦に積まれた小型モニターをずーっと見続けていると、点在している作品のイメージが緩やかにつながり始め…。「始まり」と「終わり」の追い駆けっこに胸が締め付けられた。ここには思わせぶりなそぶりはない。事実のみの構成で、一瞬の出来事が永遠につながる嬉しいオマケも発見!しかも、ラウラ・リマの小屋から小鳥はジャンプし、ツバメと化してここに帰着したのね―などと妄想まで広がった。でもモニターをチラ見しただけで素通りする人が多い。もうちょっとだけ待って作品と対峙しようよ…世の中は宝の山だ―。
▶毎回毎回感心するのが岡崎の道。ゴミ一つ落ちていないのよ、マジにきれい。地元の友人に言わせると、大型商業施設が市内の南側にできて以降、トリエンナーレの会場にもなる北側は閑散として行く一方だとの話だが、いやいや、寂れた感はないよね。むしろ閑静な文京地区の趣きだ。散歩の途中に見つけた住宅街に立つ婦人服のお店では、先週のブログで紹介した「それいゆ創刊70周年コーナー」ができていたよ~。
そして夕暮れの空を見上げたら、鳥が並んでお待ちかね♫ まるで楽譜のようではないか!最後まで鳥のイメージが数珠つなぎした「あいトレ」郊外編だったわ★
▶翌日は和菓子店「和泉屋」のオカザえもん(岡崎市の非公式ゆるキャラ)どら焼きでコーヒー・ブレイク。白小豆と黒豆の両方入った欲張りな逸品よ。焼き色が濃い目で若干松崎しげる状態だが(笑)、これもまた一興。髪型は私とカブる(汗)。
さて「あいトレ」備忘録は、②の名古屋市内編に続きまーす。次回は10/10のUPです。
すべては雑誌からはじまった!【② それいゆ の巻】
雑誌『それいゆ』創刊70周年!
◆戦争が終わり、ちょうど1年経た1946年8月15日に、伝説の女性向け雑誌『それいゆ』が創刊された。前回このコーナーで紹介した『暮しの手帖』が始動したのも同じ頃だが、物資はもちろん食べ物さえも乏しく荒廃した地で、女性雑誌が復興の起爆剤となった事実に、私は強い関心を持っている。そして、現在も発行中(!)の『暮しの手帖』に対し、『それいゆ』は1960年8月までの全63冊で幕を閉じているのだが、むしろそれゆえに伝説と化していて、10年おきくらいにスポットが当たり⇒再燃という流れが繰り返されてきたように思う。創刊70周年を迎えた今年は、ついに特設サイトもオープン。イベントや販促にも力が入ってて、もはや懐かしさをそそるだけの狙いではなく、日本人女性の琴線に触れる「カワイイ文化」の源泉として立ち上がっているのだ。
中原淳一ワールド全開!
◆例えば、花森安治編集長の『暮しの手帖』が、硬派に生活全般のレベルUPの一助になるのを目標にしていたとするなら、『それいゆ』は、スーパー・クリエイター中原淳一が手掛ける“女性のための”美的生活追及マガジンといった印象だ。2誌共にカリスマ編集長が、雑誌の美意識を決定づけていたわけだが、『それいゆ』は美しくかつ新しいものに対する感度が高く、今の女性誌の原型ともいえるだろう。何せ淳一は雑貨屋からスタートしているからね~。精神性と物欲の両方を刺激し、“美しいものに囲まれて、わたしもキレイになりたい!”と、日本中の女性たちを虜にしたのではないだろうか。ただ、華麗にトレンドを生み出してしまったがために、力尽きて63冊で廃刊。
◆余談だが、花森と中原…一時代を築いた天才編集長の比較を誰かやってくれないかなあ…。学術書が出てもおかしくない研究テーマだと思うのだが―。
古本屋からマイ・ブームへ!
◆なーんてエラソーなこと書いてしまったが(汗)、『それいゆ』は私が生まれた前年にピリオドを打っているので、もちろんリアルタイムで熱狂したわけではない。聞きかじった情報が脳裏にあり、20代半ばのある日、仕事場の近くの古本屋Mで実物を見つけたのをきっかけにマイ・ブームとなった。
◆そこには大量の『それいゆ』がひっそり眠っていたのだが…ズルいのよー!ぜーんぶビニールが掛けられ…ビニ本状態(涙)。開封は許されず、なんと1冊のお値段は1500~2000円相場(汗)。当時の私のバイト料は時給800円で割といい方だったが、それでもジャケ買いの博打に出るには勇気が必要だったわよー(笑)。結局バイト料が入るたび2~3冊ずつ博打を打ち、合計20冊ほどご購入。世の中がバブっていたときに、DCブランドの服でも高級フレンチでもなく、こんなお地味な博打を打っていたのが我ながら可笑しい。
◆中原淳一は、自前メディアの在り方を固定化せず、絶えずトライアルし続けた点でも一歩先を進んでいた。『それいゆ』が爆発的に売れてこれを柱としつつも、そこから人気コンテンツをピックアップし、臨時増刊号として発行。読者の反響に呼応して進んでいたんだよね。そう、フィジビリの連続!また、少女向けに『ひまわり』(のちに『ジュニアそれいゆ』へモデルチェンジ)を出したり、イベントや販促と連携させたりと、出版の可能性を押し広げたその手腕には今更ながら驚かされる。さしずめ「日本のリアルクローズを世界へ」がテーマの東京ガールズコレクションなぞは、淳一が70年前に敷いたレールの上を走っているということだ。
『それいゆ 手芸集』に感涙!
◆子供のころからサンリオ系のファンシーグッズやキャラクターにはまったくノレなかった(汗)。カワイイ=丸系のデザインと二頭身のルックスを見る度、妙にムカつく少女だった(笑)。しかし、せっせと買い集めた『それいゆ』を舐めるように見た私が、最も魅かれたのは手芸とインテリア。そこには私の理想の人形や小物の作り方が掲載され、そうした物たちを散りばめた部屋のインテリアまでトータルに紹介されていたのだ!
◆夢中で作り倒しましたね(笑)。内藤ルネのイラストをアップリケしたり、水野正夫(最も影響を受けたデザイナー!)のデザインセンスを参考に人形を作ったり…。ボロボロながら捨てられず今も残る手作り品。けっこう味わい深かったりして―。
◆こちらのBAGは使い続けて20年以上経つ代物(汗)。よれ&煤け具合にアンティークの趣きあり(笑)。周囲の評判も良かったんだよね~♪
生涯の宝物、臨時増刊『生活の絵本』!
◆ここだけの話、私には自分の思い描く間取りの一軒家に住みたい!という壮大な夢がある。 我が経済状態を鑑みて、それはこの年でオリンピック選手や宇宙飛行士を目指すくらい途方もない夢だが(爆)、まっそれはそれ、これはこれで…お許しいただくとして。そんな妄想に火をつけたのが、「A+U」「Casa Bella」「2G」らの名立たる建築雑誌ではなく、『それいゆ 臨時増刊号 生活の絵本』シリーズなのだ!へへへ
◆おそらく、当時一世を風靡していたモダニズム建築のエッセンスを、どう日本家屋に取り入れて泥臭い生活とおさらばするか―が、この増刊号のコンセプトだったのだろう。何せ「住宅の問題は戦後一番厄介な問題の一つだ」という一文で始まるのだから。
◆とはいえ、内容はいきなり現実的かつ具体的。「工費拾万円 期間21日間で作る」「七万五千円で建つ若いふたりの家」「庭の片隅に山小屋を作る~1萬5千円の大人のオモチャ」などの総力特集記事もあれば、ご予算に合わせて「千円で模様替えしたアパートの四畳半」といった小ネタも満載(笑)。とにかく快適な生活を目指した工夫がてんこ盛りで、思わずその真っ直ぐさに目頭が熱くなった。
◆久しぶりに見返したが、やっぱりいいなあ~『生活の絵本』。今も大好き、宝物よ!無理して買ってホントよかった(涙)。特に、まるでお洋服を手作りするような軽快なフットワークで、家も建てちゃってるところがサイコー(笑)。芝居の書割りのような…段ボールハウスのような…(爆)。きっと目指す姿は欧米のモダン住宅だったのだろうが、むしろ私にはこの慎ましく可憐なmade in JAPAN風合いが、いまも一番好ましく映る。さーて、あとはいつ建てるかだけだな。妄想に終わりなし★
繰返しに堪えるファッション性!
◆中原淳一のブームは、それこそ定例化しているので正直言って新味はない。彼の好きな気高き美しさと、彼が登場した40~50年代の健やかな保守性がピタッとシンクロしたから仕掛け人になってしまったが、そもそもがあだ花的なファッションリーダーじゃないものね。本来、流行とは反対の人。ウエストが必ずきゅっとしまってて、スウェット素材なんて絶対許さないタイプよ(笑)。セクシャル度が低いところも鮮度が落ちない理由だと思う。
◆30年以上も前になるのかな…。資生堂のPR誌「花椿」誌上(写真切り抜き)で、淳一ファッション特集を見たときのトキメキは忘れられない。衣装制作はこぐれひでこさん(写真はもちろん小暮徹氏!)。淳一の本質を射抜き、ノスタルジーに傾かず、カンペキに今に蘇らせていた。ちゃんとお洋服が呼吸していたのよね~。色々な人が淳一ファッションを再現しているが、未だこぐれさんの仕事に勝るものは出てこないなあ。モデルに伊藤蘭(現、水谷豊夫人ですね。確かに古い日本映画に登場しそうな顔立ち!)を指名し、細かくポージングをつけているのも素敵すぎるぅ~。
◆私なんてぜんぜんマニアの足元にも及ばないけど、雑誌にまつわる四方山話は尽きない。それだけ私の血肉になっている証でもある。「すべては雑誌からはじまった!」シリーズ、引き続きよろしくです★
PS 次号は9/30に更新予定です。