振り向けば テレビ体操~♬
わからないものですね…。じぶんが早朝6:25のテレビ体操(=テレビで放映するラジオ体操のこと)を、ほぼ毎日続けることになろうとは…。もしかして一種の徘徊?ちょっとコワいなあ…(汗)。
きっかけは2つ。1つは、ちょっとした義理から50歳を機に始めたヨガが予想以上に面白くて「適度な運動は意識を変化させるものだなあ…」なんて考えるようになったこと。だってヨガって、自己鍛錬しながら眠くなるんだよ~、わけわかんないよね?(笑)わたしはどうも、運動全般に漂う生真面目な空気がイヤで、なるべく遠ざけてきた経緯がある(汗)。だけどヨガは、愉快な気持ちのまま深掘りできそうだから続けられてるみたい…今のところは。鶴太郎を目指す気はサラサラないけどね(笑)。
で、教わっているヨガの先生から「ラジオ体操に意識的に呼吸を入れたら、ヨガと同じだよ」という話を聞いたときに、ストンと腑に落ちたんだよね。そう思って、テレビ体操を眺めたら…最近は動作解説にプラス「呼吸」ポイントを挟み入れて誘導してるじゃないの~♪ 有酸素運動を取り込もうとしてるんだあ~!と、ガッテンしたってわけ。
そしてもう1つのきっかけは去年の夏、7月某日の早朝のことです。休日だというのに、クソ暑くて朝早くから目が覚めちゃって(汗)、しょうがないからシブシブ起きてTVのスイッチを付けたら…朝もはよから溌剌としたオーラが目に飛び込んできたの!「えっ?テレビ体操って毎日やってんの?」と驚きながらも、つられてしまい…思わず参加(爆)。その日以降ほぼ毎日つられっぱなし(爆)。どうやら本当に365日休みなしの番組です(爆)。ここに働き方改革のメスは入りません(爆)。わたしも相当くどい奴なんで「さすがに正月くらいは休みだろう…?」と訝りながら、恐る恐るのぞきましたよ~今年の元旦に(爆)。するってーと…
休むどころか、なんとスタジオが正月仕様に!フルメンバー+犬(柴犬イラストが昭和味で泣かせる)!しかもアシスタントと呼ばれる6人のお姉さまたちが名前入りで紹介されててバカウケ!間違いなくマニアがいるだろう仕立てになっているから、あわててWebで検索したら…案の定でした(笑)。
NHKテレビ体操のお姉さん【朝の10分間のアイドル】と題し、歴代のアシスタントとレオタードの変遷を丁寧にまとめていらっしゃる方もいれば、正月豪華版を長年録画している方もおいでで…(汗)。申し訳ございません。はじめて半年程度の新参者には歯が立ちません。それもそのはず、なんと今年(2018年)はラジオ体操が創設して90周年だって!こうなりゃ、その沿革を知りたくなるのが人情ってもんよね?はいそこで、さらにラジオ体操の奥深さを知りたい人ために、オススメ本がありま~す♬
高橋秀実氏の『素晴らしきラジオ体操』(小学館)です。20年ほど前に発売された本で、私も10年くらい前に読んではいたんだけど、目下実際に体操をやりながらの再読だから、余計に面白くて。高橋さん曰く、“ラジオ体操=つられてやるもの”というオチは、ホントその通りです!(ちなみに高橋さんのルポはどれも絶品★読んでいる途中で声をあげて笑っちゃうくらい愉快なボケと、対象者たちへの敬意をこめながらのイジワルなツッ込みがサエまくる超オススメの読み物ばかりよ。)
この本では、“ラジオ体操人”と呼ばれる人たちの生態、ラジオ体操が創設された経緯、ラジオ体操と国威発揚、占領時に禁止されたラジオ体操の復活工作劇等、血湧き肉躍る背景がまとめられてて、ラジオ体操を通じて知っていそうで知らなかった日本人のメンタリティがググっと立ち上るのよ~。ラジオ体操は日本人に馴染み過ぎてて、意外にも書き残されてる資料が乏しかったんだって。個人的には、戦後のラジオ体操再改訂版の原案を作った遠山喜一郎さんの話に最も唸った!文庫版も出てるからぜひ読んでみて♬
冒頭でも触れたけど、何十年かぶりにマジマジと目撃してしまったテレビ体操。まずアシスタントのお姉さんの体操プロポーションと、ゴムマリみたいな躍動感に圧倒されたのよね。学生時代、あの全体主義ムードにケッ!と悪態ついていたわたしが、50過ぎてこの変わりようはどうよ~、まさに保守反動(爆)。しかーし、誰でもできるあの体操を、お姉さまたちのレイヤーにまで上げようとしたら、オリンピック選手を目指すくらいのハードルの高さですわ。朝からハァーハァー肩で息吸っちゃったりして(汗)。
他にも、15分間のメニュー構成は飽きさせない工夫が凝らされているし、毎日お花畑越しのピアノ伴奏付きというアナログな贅沢さ!特にわたしが重宝してる理由は、めざまし時計代わりにできる点ですね★そのうえ、寝ぼけまなこでフラフラやり始めても、終わるころには本日の活動スイッチがON状態になってるの(笑)。ほら、そろそろあなたの食指も動き始めてきたわよね?ではごいっしょに~♫
余談だけど、テレビ体操の前に放送されている『旅する語学シリーズ』も一見の価値あり!このシリーズは、フランス語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語の4か国語を、現地を旅しながら学ぼうという企画らしいけど、美味いもん食べたり、きれいなもの見たり、おしゃれーなお宅にお邪魔したりして、ほとんど贅沢三昧な旅番組仕立て。「おいおい、語学のお勉強はどうなってんだあ~?」とツッコミどころ満載です(笑)。どうやら最近のEテレは、振り幅の大きさがウリみたいね(笑)。
PS 次回は3/26にUPします
勝手にシネマ評/『デヴィッド・リンチ:アートライフ』('16)
デヴィッド・リンチか―。ちょっと困った(汗)。
実はわたし、『イレイザーヘッド』(’77)を未だに見ていない不届き者。そのうえ『ツイン・ピークス』シリーズもスルーしてて…(汗)。まあ、それ以外は公開時に劇場で一通り目にしてきたが…うーん、いい意味でフツー。フツーに可笑しかったり、フツーに頭がこんがらがったりして、それなりに愉しさも味わってはいるのだが…フツー。もちろんお気に入りもありますよ。
『ブルー・ベルベット』(‘86)と『ストレイト・ストーリー』(’99)は好き。良くも悪くも、リンチワールドは、この2本で過不足なくのぞき見できると言ったら、ディープなファンの方々からはお叱りを受けるかな…。というのも、リンチにはガッカリさせられた思い出があるからだ。
2012年、ラフォーレミュージアム原宿で『デヴィッド・リンチ展~暴力と静寂に棲むカオス』を見た。映像作品にとどまらず、絵画・ドローイング・写真まで網羅した鳴り物入りの大規模企画展。要は、豆腐作ってるだけじゃないんですよ~、肉も野菜も使って脳内妄想レシピを調理してるんですよ~と、アーティスト=リンチのお披露目会になっていたのだが、これがまったくノレなくて…(汗)。
もったいぶってる割には、どれもこれも射程距離が短いわ、そのうえ詰め切れてないわで、かえってお里が知れちゃったわけ。「世界で最も影響力のあるアーティストの1人だとぉー?これじゃあ、美大生の卒展レベルだろ?」と、ひとりボヤキながら帰路についたのでありました、はい。
それ以降、リンチのことはすっかり忘却。現に10年以上、映画制作から遠ざかっていたらしいから、思い出す機会もなかったのだ。そんな中、唐突に舞い込んで来たのが、リンチに密着取材したドキュメンタリー映画『デヴィッド・リンチ:アートライフ』('16)だ。リンチご本人がナビゲーターになり、物心ついてからデビュー作『イレイザーヘッド』を完成させるまでの道のりが、時系列に沿って語りつくされる仕立て。要は、ジョン・グエンという人に監督を任せ、ご自身は被写体モード全開(!)で御登場だと…。なるほど、その手がまだあったか!
デヴィッド・リンチは1946年1月20日生まれの72歳。そりゃあ人並みに、我が人生を振り返りたいと思うのも無理はない。リンチ曰く「新しいアイデアに過去が色づけする」―。そうでしょう、そうでしょう。リンチみたいな特異なポジションを確立してきた人が、穏やかな口調で過去と未来を紐づけた自己肯定感を口にすると、それだけでよい空気が流れ出るもの。でもって、語られる幼少期の想い出が、リンチ作品にもたびたび登場する1950年代の米国の明朗快活なイメージそのもので、さらに興味を引く
カウボーイハットがトレードマークの父と美しい母。おしどり夫婦による愛情あふれる家庭生活の下、3人兄弟の長男として一点の曇りもなく健全に育つリンチ少年。ところが一転、自宅から数ブロックの小さな世界がすべてだった彼が、転居&進学を繰り返すたび、やがて心の内を制御できなくなり、夢と現実の境界線が崩れ、恐怖を抱えながら生きるようになったという。人生の振り返りといいながら、創作の原点や自作の解説とも受け取れるお話が、様々な素材をコラージュして綴られて行くのである。
リンチの口からこぼれだす歪なエピソードの数々は、ダークな深層心理を解き明かすためのくすぐりにピッタリなのだが、わたしは正直言って勝手に割愛(笑)。それより、口癖のように「あの頃はサイテーだった…」とネガワードを連発するところが、ひどく可笑しくて。いや、きっと感受性豊かな青春時代に、世界に触れて、戸惑い&苦悩した記憶は、脳裏に焼き付き離れないのだろうが、何もそこまでネガなじぶんに依存しなくても…ねえ(笑)。
何より、70年生きてても、青春の彷徨ってヤツを当時の気分のまま語っている様子に虚を突かれた。1ミリもてらいがない。そっか、リンチは制御不能に陥っていたじぶんが嫌じゃなかったんだなあ…、いつもどこに戻ったらいいかをウッスラ覚えていて、帰れる場所があったんだなあ…とわかり、初めて腑に落ちたのだ。
まっとうなご両親から注がれた愛情深き日々という礎があるからこその、ダークサイドへの憧れ―。リンチにとってはどっちも大切な拠り所なのだろう。そうそう、アトリエの片隅にヒエロニムス・ボスの『快楽の園』のポストカードが貼られているのを、わたしは見逃さなかったわよ!これまたいかにもなチョイスじゃないの~。でも美しく、謎めき、寓意に満ちた500年以上前の傑作に、心から憧れている様子が、実に微笑ましかったです。とことんピュアな人なのでしょうね。
映画は、リンチの現在の創作風景も捉えながら進行する。何せタイトルが『アートライフ』だからね。でもごめんなさい、手掛けているものより驚嘆したのは傍らで遊んでいる幼子だ。何と彼のひ孫ではなく実の娘だと!3度の離婚と4度の結婚って…(汗)。ピュアな男は死ぬまで現役モテ期なのね♫ ロマンチックLOVEを未だに夢見る男、これぞ真のアートライフ。デヴィッド・リンチは稀に見る幸福な人だった。拝みに行く価値ありです!
名古屋シネマテークにて 2/24~3/16まで公開中
『デヴィッド・リンチ:アートライフ』
2016年/ 米・デンマーク/カラー/88分
監督 ジョン・グエン リック・バーンズ O・N=ホルム
主演 デヴィッド・リンチ
撮影 ジェイソン・S
音楽 ジョナサン・ベンタ
PS 次回は3/13にUPします
人生最期のBGMは…こんなメロディで♫
人生最期シリーズ第2弾は、最期の瞬間に耳元で流れるメロディ♫にしてみました!第1弾の『最期の晩餐』同様、これまたわたしには、好ましいと思う明確なイメージがあるのよね(笑)。まあ、それは一番最後に紹介するとして、いつものように友人たちに敢行した聞き取り調査の結果を綴っておきましょう。シチュエーションも込みのお遊びで語っていただきましたよ★…それにしてもやっぱ人それぞれで笑ったなあ~。
🎼【Entry1】Hotel California/The Eagles
一番バッターに指名した、昼夜問わずパワフルに働きまくっているTは、“スカイダイビングしてる途中に死ぬ”絵が浮かんだと言ってマース(笑)。「飛んでる途中に死ぬってキモチ良さそうだな~、パラシュートが開いて、少し気流にのって下がったくらいのタイミングがベスト!」だって。ナチュラルハイのまま昇天★…だからBGMは風の音になるんだけど、最期の一曲と問われたら「Hotel California」を選択。マジ?イントロ長すぎじゃねぇ?これじゃあ歌に入る前に事切れそうだ(爆)
[4K] The Eagles - "Hotel California" Live At the Capital Center (1977)
🎼【Entry2】Ghosts/Albert Ayler
お次はジャズに詳しいNさんに、今日限定(2018/01/30 16:23)の1曲をあげてもらいました!「ホームレスになって絶命しかけたとき、亡くした猫の幻影がでてきて、手をのばしたらガブと指を噛まれて死んでいく―」そんな設定だって♪ ははーん、これは野垂れ死にと言っても、舞台はNYで赤いマフラーしてそうだなあ…と返したら、「赤いマフラー!施設で嫌々もらってきたとか、エルメスの路面店から万引きした、みたいな未来像が描けた★」と大喜び(笑)。我ら映画好きは、ディティールが肝ですから◆
🎼【Entry3】6代目三遊亭圓生の落語で
憧れの職業が専業主婦で、引きこもりが大好きなIZくん(男)は、落語を聞きながら昇天するのが理想の最期。わかるわ~、本人が落語に出てきそうなキャラなのよ。親から譲り受けた一軒家で長年独り暮らしを謳歌してるようだが、噂では相当奇怪なゴミ(?)屋敷らしい(汗)。そんな自宅で「4匹の野良猫に見守られながら、最期はうっすら微笑みを浮かべてがいいなあ~」と、はなはだズーズしい願いを口にしておられます。その前にくれぐれもボケないでね!と言い聞かせてますが…(笑)。
🎼【Entry4】あえて抵抗しない/ゆらゆら帝国
IZくんとお誕生日がご一緒のIくん。超仲良しのふたりには、ヤン坊マー坊天気予報~♪でも聞きながら、最期も同時に息を引き取ってほしいものだが(苦笑)、いちおうIくんは、ゆら帝の「あえて抵抗しない」をBGMに、とーってもシュールな状況下で最期を迎えたいそうなー。「温度は高からず、低からず…なんだよね~」だって。おいおい、抵抗しないと言っておきながら、オーダーがやけに細かすぎないか~?(爆)
🎼【Entry5】邦楽のひととき/NHKFM
「楽曲と言うより、自然なかんじで耳に響く音色をBGMにしたいなあ。ラジオから流れる常磐津や筝曲、地唄なんかが邪魔にならなくてイイ。」と、的をきっちり絞り込んできたF(笑)。ってことは、NHKFMの帯番組「邦楽のひととき」がベストですかね?時間も自ずと決まり、お昼ご飯前です、はい。「ベッド横の窓からは青空がのぞき、風が割と強く吹いてて木の葉が揺れてるんだよね…」―と、妄想はどこまで具体的に進行。もしかして臨死体験してたとか?(汗)
🎼【Entry6】Frontin' ft. Jay-Z/Pharrell
さてさて F以上に具体的なのが、妄想させたら日本一のRです。これはもう老後の脚本ですね(爆)。「介護施設なのか、何かのコミュニティで暮らしていて(人との交流がある場所)、死の予感がしたら直前まで元気にふるまうんです。で、一人部屋に戻り、一応ヘアを整えて、メイクもして、寝床に入る。BGMに「Frontin’」、画像は「トムハ主演 マッドマックス」を流し、わたしの愛するイケメンたちに囲まれながら、息をひきとる。―翌日、食事の時間になっても現れないので、誰かが私の部屋を訪ねると…リピート再生されていた「Frontin’」と「マッドマックス」が流れる中で、幸せそうな顔のわたしの亡骸を見つける…でどうでしょうか♥」。スゴ過ぎ!死の翌日までスケッチした人はあなただけです(爆)。
🎼【Entry7】Spiegel im Spiegel/Arvo Part
うって変わって、こちらはしっとり静謐派。ナンニ・モレッティの映画『母よ』(傑作!)でも使われていたアルヴォ・ペルトをご所望。「映画監督たちは、ペルトがホント好きですね。この曲は余分な音が削ぎ落とされていて美しいなあと感じます。そして人生最期は、ヘンリー・ダーガーのように死ねたら、本望かなと最近思ったりします。」。おー、控えめに見えて、それはかなりハードル高いぞ~。まずは今日から絵描きにならないとね(笑)。
Arvo Part - "Spiegel im Spiegel'
🎼【Entry8】映画『メランコリア』('11)
絵描きといえば…画家のマブダチSが妄想する最期は、映画のラストシーンに重なるとか。なんとその作品はラース・フォン・トリアー監督の『メランコリア』とハシャいで口にするから気が気じゃない!だって超美しく壮大なシーンだけど、惑星メランコリアと地球が衝突する人類最後の瞬間なんだよ~(汗)。「人類最後の日が自分の最期だといいなあ~♪全員いっしょに死ねば死はないものとなるじゃない?映画のラストのように光に包まれて消滅するのよ~」「明日のことをもう考えなくていいしね~」だって(汗)。ってことは、わたしもいっしょ?死なばもろともってヤツ?おい、コラ、勝手に巻き込むな~!
Melancholia (2011) - Official Trailer [HD]
🎼【Entry9】Fly Me to the Moon/Frank Sinatra
いくらマブダチとはいえ、いくらアーティストの気まぐれとはいえ、Sの派手なお誘いには乗りたくないですぅ(笑)。神様、わたしの最期はひっそりお地味にお願いします!フツーでいいです。フツーに病院で、相撲中継(できれば中入り後すぐあたりの時間♥)をぼんやり眺めながら…が長年の理想です。廊下からは夕食のにおいがうっすら漂い、枕元に置いたトランジスターラジオから流れてくるのはシナトラの「Fly Me to the Moon」♪ そう、一点豪華主義の最期です(笑)うーん、マンダム★
Frank SINATRA Fly Me To The Moon In Other Words Live 1969
さて 全9編の最期のメロディはいかがでしたでしょうか?…明日にはまた変わっていそうですが、それもまた一興(笑)。ではおあとがよろしいようで―。
PS 次回は2/26にUPします
勝手に年間cinema🎬2017年版
さて、今回のちんぴらジャーナルは年間映画特集です。忘れないうちに昨年観た映画の振り返りをメモっておきますね。長年ベスト10形式でまとめてきましたが、「ランキングにする必要ってあるのか?…」とフト疑問に思い(汗)、括りを変えての備忘録にリニュアルしてみました。よろしかったらお付き合いくださ~い★
屹立した女と出会える3本
▶今、ハードボイルドなトーンで映画を描こうとしたら、主役は断然女性でしょう。ラブ・ディアス監督作品『立ち去った女』('16)は、深い絶望の淵にたたずみながら、ひるむことなく独り屹立するヒロインのお姿が拝顔できる桁外れの1本です。30年間無実の罪で投獄されていた女ホラシアがたどる復讐の旅路に(なんと4時間!)、頭のてっぺんから爪先までもって行かれ、かつ、帰れなくなります(汗)。お気をつけて~!
▶こちらは、しゃべりまくりのブルドーザー母性に圧倒された『ローサは密告された』('16)。ディアス監督と同じフィリピン出身のブリランテ・メンドーサ監督は、マニラのスラム街を舞台に、雑貨屋家業に精を出す女店主の抵抗と開き直りと悔し涙を殴り描きし、有無を言わせぬ迫力がありました。“金”と“雨”が降り注ぐ世界の四つ角で、茫然と串をほおばるローサ…。どん底と、とりあえずの腹ごしらえが共存する演出に、ひたすら感服するばかり(涙)。
そして、若いながらもすでに“苦み走った女”と言い切って余りあるヒロインが登場した『午後8時の訪問者』('16)も忘れ難い1本です。詳しくはこちらを参考に。
米映画ならこの3本
▶スティーブン・ソダーバーグ監督が、引退宣言取り消し後初めて撮った『ローガン・ラッキー』('17)は、「強盗」+「脱獄」の娯楽フォーマットに、家族を持てないプア・ホワイト層の現実を炙り出し、笑ってばかりもいられないお話でしたよ。センス抜群の役者&キャラ設定は無論、負け犬たちにこの先どんな夢を見せるのか、米社会の未来図展開も気になるところでした。
▶一方、市場を遠ざけ、個人的志向に体重をかけて制作を続けるジム・ジャームッシュ監督は、新作『パターソン』('16)でバスの運転手をしながら詩を書く男の平凡な日常を綴ります。ここでは競争のない代わりに、内と外との融合を図るための問い掛けが、主人公の中で繰り返されます。そう、意外にもアグレッシブな映画と言えるのです。
▶最後は、3台のスマホだけで映画を撮り切り話題になった『タンジェリン』('15)です。出所したばかりのトランスジェンダーの娼婦と、その仲間たちの品位の欠片もない内輪揉め(爆笑の連続!)が、終わってみれば聖なる一夜に奇跡的に着地するというズルい1本。“LA発、愚者の贈り物”といった趣でした(笑)。好きだわあ~♥
イレギュラーな愛を語る3本
▶去年見た映画の中で最も控えめに恋心を描いてみせたのが『ムーンライト』('16)。過酷な貧民街に生まれた黒人少年の成長プロセスが、3人の役者をつないで描かれます。しかも、荒れた境遇をあえて美しく静謐に切り取り、内気な主人公の声なき声を想像させながら進行するので、全身をそばだてながら魅入ってしまいました。
▶南京のマッサージ院を舞台にしたロウ・イエ監督作品『ブラインド・マッサージ』('14)は、なんと登場人物全員が盲人で、目の見えない彼らの日常が至近距離でスケッチされています。しかも、あまりにのびやかなので、我々観客の方がアウェイになるという画期的な作品です。盲人の不自由さだけに注力せず、彼らの自由な振舞いに柔らかな光を当てることで、様々な愛の形が浮び上がって見えました。
▶意外性が高かったのは、アントワープが舞台の犯罪映画『汚れたダイヤモンド』('16)。主人公ピエールはダイヤをめぐって何人もの「父」と出会います。冷酷かつ渇いた犯罪タッチで描き進む一方、父性の力に守られて、ご都合主義だわウェットだわでやたら可笑しい(笑)。成功の要因は“泣き虫の強盗”という新キャラ設定にありました!
巨匠が吠える映画2本
▶『オン・ザ・ミルキィ・ロード』('16)は、旧ユーゴの悲劇にどこまでもこだわるエミール・クストリッツァ監督、渾身の一本。長引く戦時下で、絶望深く生きてきた主人公が運命の女と巡り合い、死と隣り合わせの逃避行に旅立つ波乱万丈ドラマです。頭でっかちな思想は一つもありません。愛を知り、ひたすら生の交響曲を奏でる男に生まれ変わるだけのシンプルな構成です。そのうえクストリッツァの愛はハンパなくデカイ!世界を360度見渡しながらの語り口と、動物たちとのコラボの力で、映画は神話の領域にまで達していました。
▶88歳にして、まるで旅芸人一座を率いる座長のごとき存在感を放つ、アレハンドロ・ホドロフスキー御大。監督自身の青年期を描いた自伝的作品『エンドレス・ポエトリー』('16)は、青春の彷徨を思う存分高らかに歌い上げ、その迷いのなさに胸を打たれます。かつてのじぶんを、老いたるじぶんが見守る構図のハマりっぷりには、心底唸りました。
2017年ベスト1作品
▶強いて1本と言われたら…ジャンフランコ・ロージ監督が、イタリア最南端の小さな漁師町ランペドゥーサに1年半移り住み、住民たちと暮らしを共にしながら撮ったドキュメンタリー『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』('16)ですね。予測できないもの同士を結びつける知性もさることながら、観客の想像力を呼び覚ますための余白の取り方が素晴らしいのです。こちらにガッツリ感想を書いております。興味のある方はぜひ。
オマケ:邦画3本!
▶何しろ邦画は鑑賞数が少なすぎて、わざわざ書くのも気が引けますが…。目下若手の日本人監督で一番注目している小林啓一監督の『逆光の頃』('17)がダントツ好きでした!幼なじみ以上恋人未満の高校生カップル(葵わかなと高杉真宙)が、京都の古い町並みを、2匹の猫がじゃれあうようにお散歩してて美しいったらありゃしませーん。
▶高杉真宙つながりで、『散歩する侵略者』('17)も必見です。役者たちを、すごーく高レベルで脱力させ、つかみどころがない。そのくせ“愛情”の扱い方は正々堂々たるメロドラマ調でキメる黒沢清監督。長谷川博己の怪演が光ってましたね。最後は北野武の『アウトレイジ最終章』('17)。黒光りするオッサンたちは、今やスクリーンでしかお目にかかれない絶滅危惧種。塩見三省に座布団5枚進呈いたしましょう!
ということで、今年も劇場通いは続きます♫
PS 次回は2/11に更新予定です。
日記はともだち 📓
あけましておめでとうございます。
我がブログも、3年目に突入しました(パチパチパチ)。本年も“ヒマつぶしの友”として、ちんぴらジャーナルをご贔屓に(ぺこり)。2018年、さて「何から書き始めようかな…」とボンヤリ考えていたところ、「そうだ、まだ紹介していなかったコレだ!」とひらめいたのが…日記に関するあれこれです★ すでに日記がともだちになっている人も、日記と聞いただけでゲンナリする人もいるでしょう。―が、ここはひとつ年の初めにふさわしいお題で、“エアー日記”ごっこでもして寛いでみてくださ~い(笑)。
『日記をつける』を読む
◆荒川洋治『日記をつける』(岩波アクティブ新書)という本を知ってますか?15年以上前に出された本ですが、贈り物にしたり&薦めたりしたこともある、わたしのお気に入りの1冊です。冒頭で荒川氏は、人が体験する様々な日記をサラリと紹介してくれます。それも絵日記から始めるんですよ~、キャハ♫◆でね、なんと荒川氏は郷里に帰り、ご自身の小学校1年生のときの絵日記を見つけ、先生が赤インクで描いた感想を紹介してるんです。これがタマランのです!わずか2ページ半のエピソードなんですが、瞬く間にじぶんの体験が蘇り、おそらくすでにお亡くなりになっているであろうわたしの担任だったK先生の書き文字が鮮明に思い浮かんじゃったの(涙)。そう、人には多かれ少なかれ必ず日記体験がある。その先陣を切るのが絵日記だったことに遅まきながら気づきました。あー、とっておけばよかった…7歳のじぶんと出会えるチャンスだったのに~!
◆もちろん本の中身は絵日記だけではございません(笑)。日記のつけかた、日記のことば、つける順序、名作日記紹介など、穏やかな語り口とシャープな視点で日記にまつわるあれこれが綴られていて、何度読み返しても感服してしまいます。
…日記は、自分を笑うことでもある。「うれしい」なんて書いたりして、いいのかな、調子に乗りすぎではないのかななどと思いながら、筆はその「うれしい」ということばに、つながろうとする。そして自分の書いたことばに、にっこりする。「ばかだな」とも思う。自分の批評家がひとり生まれる。その批評家はときどき現れ、消えていく。日記をつけることは、自分のそばに、自分とは少しだけちがう自分がいることを感じることなのだ。その分、世界はひろくなる。一日もひろくなる。新しくなる。…(荒川洋治「日記をつける」より)
本文の最後に書きしたためられたこの一節を読み返すたび、「日記っていい奴だなあ…滋味深い相棒だなあ…。」と思わずにいられません。そして、日記というアクションの本質を突いたことば―“自分の批評家がひとり生まれる”―には、つたない表現だろうが惰性だろうが、じぶんの他にこの批評家になれる幸運がないことに気づかされ、思わず胸が高鳴ってしまいます。日記をつける人にもそうでない人にも、強くオススメしたい1冊です。
日記と名がつく読みもの
◆日記は文学として扱われてもいますよね。で、学校の授業で習う日記文学の王道が、『土佐日記』だったり『紫式部日記』だったりの古典じゃない?申し訳ないけどあれはマズイ(汗)。絵日記から始めたリアル体験なのに、数年後には、絵はないわ&意味不明のコードが使われるテキストの解読だわで、日記=文学+古典⇒敷居が高い という刷り込みになってしまう…(それがイイ!と思われる方は素晴らしい~★)。日記文学には隣の庭を覗き見する俗な愉悦があります。でもそれは、じぶんの庭にもそれなりに芝生が生えて初めて比較して眺められるから面白いわけで、日記と名がつく読み物との出会いは、大人になってからこそ貴重なんですよね。
◆現在私の手元にあるのはこんなラインナップ。あえてタイトルに日記が入ったものを選びました。プライベートで書いた日記の書籍化もあれば、形式だけを借用したコラムもありますね。日記と名付けることで、逆に歯止めがかかり、じぶんをダダ漏れにしない含羞のある書き手がわたしの好みです。
日記、つけてます!
◆さて、さんざんエラソーなことを書き並べてきましたが、わたしの日記体験はここ10年ばかりのひよっこです(汗)。それまでは、ちょっと始めてはフェイドアウトの連続で、そもそも日記を通じてじぶんの毎日と向きあうような行為に興味が持てませんでした(汗)。一変したのは、うーんと若いマブダチMがつけていた10年日記帳に触発されたから。そんな日記帳があるのか!と、道具の発見で意識が変わったんです。
◆わたしが選んだのは博文館の5年日記帳。同じ日の5年分の記録が縦に並ぶ形式です。そう、荒川氏の例えを借りれば、1ページ開けるたびに、自分の批評家がMAX5人誕生している様子が眺められるってわけ。もともとが定点観測好きな性分ゆえ、これにはすぐにノレました♫ しかも1日がこの分量なんで、ハートより事象描写を優先し、スイスイ書ける書ける~。読み返すときも胸焼けがしません(笑)。
◆2008年から始めて11年目。青いやつがニューカマーで、今年3冊目に突入しました!正直言ってわたしの場合、終わった日記帳を引っ張り出してまで読み返すことはありませんね。でも、「押し入れのあそこにかつてのわたしが眠っている…」と想像するのは悪くない。もはやそれはじぶんであってじぶんでないような距離感に変わります。書いてる瞬間だけはじぶん十分だけど、書き終わったら最も親密なともだちに早変わりする日記。やっぱ日記っていい奴なんです~(笑)。
お布施で生きる🎍
◆さて年末年始、わたしの日記はマブダチたちとの交流話で花盛りになってましたよ~(笑)。K夫にはキットカットと郵便局がコラボったお年玉をもらい、帰省中のYちゃんからはマイブームお菓子3点セットをいただき(「ブルトンヌ」の缶入りクッキー、美味すぎてめまいが…)、Tからは空きカン再利用を見越しての鳩サブレが入り(笑)、Mがお正月飾りにと庭に咲く花を届けてくれました(涙)。
◆いただきものが、エピソードとともに次にウチに遊びに来てくれるマブダチのお茶菓子になる…という相互扶助数珠つなぎ。これを称して「ちんぴらさーん、お布施で生きてますね!それ、新しい~」と言われました(笑)。いやはやなんとも、ありがたいことです。せめて家庭料理の腕を磨き、お招き体制を整えておきますので、今年も夜露死苦お願い申し上げます★
PS 次回は1/28にUP予定です
2017年「1日1枚シリーズ★」発表!
2017年の制作テーマは…「1日1赤ヌード」!
さて恒例の「1日1枚シリーズ★」。2017年ももちろん、1月1日から、“日々是丹誠”大和屋の守口漬けのように(笑)1テーマを追い駆け続けております(汗)。今年のテーマは「1日1赤ヌード」。…と、書いたところで、なんのことかわかりませんよね?(笑)取り急ぎ、こちらをごらんくださいませ~♫ 毎日こんなことやってんです―
見てもよくわかんないって?…そうでしょう、そうでしょう~。では作業工程を説明しましょう。古今東西の名画、それも裸婦に注目し、まずはトレースをします。トレぺを載せて濃い目の鉛筆でなぞるのです。ちなみにこの日はゴーギャンさまの『かぐわしき大地』(1892)がモチーフ。
次になぞったトレぺをひっくり返し(汗)、赤の画用紙の上にのっけて、線の上をとんがったペンでひっかくと、鉛筆がカーボンになり画用紙に転写できるってわけ。どう?めまいがするほどローテクでしょ?…すでに21世紀も17年経ってんですけどね(爆)。
で、これを切り取ったら、一丁出来上がり!いちおう作品のデータも備忘録として残しておこうと、切り絵にタックシールを付けたりなんかしました。標本みたいにね。
最終的には、毎日切り抜いた赤ヌードをBOOK形式でファイリング。動かないように台紙に切り込みを入れて挟み込んだんだけど、このシンプルなアイデアはなかなかヒット。では、コレクションの中からいくつかお披露目いたしましょう~♫ 裸婦からフォルムだけを抽出すると、画家の女性を捉える視線に別の角度から肉迫できる気がします。まずは2月に連続したピカソのミューズたちのページ。
8月~9月は足長のシルエットが際立つクラーナハに集中♥
こうしてページをめくって行くと、なんだか猪熊弦一郎せんせいが手掛けた三越の包装紙に見えてきたあ~(笑)。
異色なのは映画『リリーのすべて』のモデルにもなった女流画家ゲアダ・ヴィーイナ。女が女のエロスを絵にするとマネキン風になるみたい。つい理想を追い駆けるのか―。
ポージングで作家性を際立たせたバルデュスは切り絵向きか―。
美術の世界で名著とされているケネス・クラークの『ザ・ヌード』なんかも、いちおう読んだりしたんだけど、そもそもなぜ裸婦に着目したのかというと、じぶんがばばあになるにつけ(笑)、女の人の裸体の美しさに今更ながら気づき始め(遅いって!)、特にその丸みを帯びた塊に感動する機会が多くなったってことが大きいわ~★臀部をカッターでなぞるときなんて、メチャ気持ちいいのよね~。単純におっさん化してます、はい(爆)。
やり続けて発見だったのは、「はいはい、あの名画ね!」と一目でわかるものもあれば、ひどく見慣れた裸婦でも赤一色でフラットに切り取った途端に判明できなくなったりすること。そう、切り絵にすると全部マチスに見えちゃうのが可笑しかった~。マチス、すんげー!(笑)
そこで、敬愛を込めてマチスのjazzを表紙に使わせていただきました。西瓜の段ボールを活用して(笑)。無駄に豪華なHARVARD印の布張りハードカバー(もらいもの!)もご愛敬♪
お気に入りの赤ヌードは、屋外に持ち出してロダンの足元にはべらせたり、いただいた花束にトッピングしたり…やりたい放題(笑)。ぺらぺらな紙1枚なんだけど、赤色の魔法でいきなりその場がゴージャス&ムーディーになるから面白い。
花屋に営業しようかな~。錦のキャバ嬢をクドくときにもってこいじゃない?(笑)
今年は友だちの誕生日プレゼントにも赤ヌードを登場させたの。こちらは、マブダチKに進呈した手のひらサイズの赤ヌードコラージュBOOK!
画家のマブダチAに、左隻にティッィアーノの『ダナエ』、右隻にブーシェの『オマフィー嬢』、背景に天才Tetsu ImamuraのピザBOYSを配した赤ヌード風神雷神図屏風を贈ったら、どうやらかなりウケたみたいで巻紙の礼状が届いたよ~(爆)。
そしてマブダチMんちのリビングには、わたしの赤ヌードモビールがきょうも風になびく~★どなたさまもこんなゴミみたいな遊びを喜んでくれて、まっことありがたいことです。いつもお騒がせしてすいません(ぺこり)。
そうそう、驚いたことに、来春横浜美術館で『ヌード NUDE』展が開催するらしいの!英国テート美術館のヌード コレクションがお披露目されるんだって。もしかして先取りしちゃった?言ってくれればわたしの365裸体もお貸しするのに~(笑)。
artexhibition.jp さーて、今年も残りわずか。所要時間15分のアクションの最後を飾るのは、目下国立近代美術館で開催中の熊谷守一のこの1枚、マブダチRが送ってくれたポストカードに決定♫ もちろん年明けからは新たな「1日1枚」がスタートです、乞うご期待!
ブログも年内はこれにて終了。年明けは、1/13から再開です。ではよいお年を!
ジャコメッティ展✑備忘録
豊田市美術館で開催中のジャコメッティ展に行って参りました!南仏のマーグ財団美術館のコレクションを中心に企画された大回顧展、かなりイイですよ。年の瀬の何かとバタバタするこの時期に、足を向けるのは大正解かと思います。コレクション全体が1つのインスタレーションのように体感でき、ちょっと体内時計が変わるような気分になりました♫
ところで、アルベルト・ジャコメッティ(1901‐1966)って何者?…と問われても、わたしもよー知らんかったです(爆)。正直なところ興味がなかった…。情報ストックは、せいぜい「はいはい、あの針金みたいにガリガリに痩せた人体像で有名な彫刻家ね~」程度(汗)。それだって実物を見た印象なのか、写真なのかも定かじゃなく、定型のイメージと本人のお顔だけが刻印されてました。同時代の彫刻家じゃ、わたしは断然ブランクーシLOVE♥派なんで(笑)。だから今回の回顧展は、初めてまともに全体像を探求できる機会になったわけです。たまたまギャラリートークにも参加でき、今じゃあイッキにジャコとお近づきになれた気がしちゃってます。(この、お調子者が~!)
✑備忘録① 故郷スタンパが原風景
ジャコの故郷はスイス南東部の小さな村スタンパ。幼い時、ここで洞窟と樹々に魅せられた記憶が創作の原風景になっているとか。20歳でパリに出た後も、頻繁に帰省し、画家だったお父さんの残したアトリエで制作を続けたみたいです。ジャコを被写体にした写真はたくさん残されていて、非常にフォトジェニックな人なんだけど、いつだってジャケット着用が可笑しい!社会科の先生にこういう匂いの人いるよね?(爆)
さて作品紹介に入らねば!まず、初期の作品が並ぶお部屋で遭遇した『ディエゴの肖像』(1919)を見て早くも確信をしましたね、「ほーっ、これは惚れそう♥」と。弟を描いた25.5×19 の小さな油絵。じぶんの見慣れた家族をこんなに奥行のある人物に描くなんて。弟、1歳違いだろ?すでに30代半ばの成熟感が…。しかもジャコが10代に描いた作品だって!
✑備忘録② シュルレアリスム時代
1922年。田舎からパリに上陸したジャコは、新旧の芸術に刺激を受けたり、同時代を生きる様々な芸術家たちと知り合います。そうそう、若いってだけで世界は無限に広がって行くものよね~♪そんな中、当時もっともトンがってるシュルレアリスム運動に誘われて手掛けた彫刻作品も、今回の展示で見られるの。これがやたらカッコイイ!運動の本家たちが残したものより風化していない。どうやら我々が抱いてるジャコのイメージは第二次大戦後のものらしく、戦前の模索時代作品ももっと深掘りしたくなりました。
✑備忘録③ ちっちゃいの、おっきいの…
とはいえ芸術のトレンドとはあっさりおサラバしたジャコ。1935年、モデルを使った彫刻へ作風を一変させるのです。この路線変更がまたまたユニークな表現方法に発展!
隣にタバコでも置いてくれないと比較できないのだが(汗)、左の『小像(男)』は高さ6.6cm、右の『小像(女)』はその半分…ちっちゃ~‼‼ ところが、実物を凝視してると頭ん中でグングン像が拡大され、どの角度から眺めてもなんとも絵になるお姿に変身するから驚く。これ1個、ポケットに忍ばせて指先で撫でていたら、ちんぴらハートも浄化しそう…まるで小説『一切れのパン』ですね(爆)。とはいえ、作品があまりに小さくなってしまうので、ジャコは「高さ1m」というルールをじぶんに課したらしいです。するって~と、今度はどんどん細長くなってしまった―という有名な逸話があるとか(汗)。
悪ふざけでも何でもなく、ジャコはいつだってじぶんの目で「見える通りに」対象を捉え、制作し続けていたらしいんですよ~。つまり、リアリズムを追及したらジャコの場合はこういう表現になった―ってことなんですね。
✑備忘録④ 細長のヴァリエ
1956年に制作された女性立像シリーズ『ヴェネツィアの女』。乱暴に言えば、クラッシュアーモンド・ポッキーにプラットフォームシューズを履かせたフォルムなのですが(笑)、肉付きの微妙な違いで、2人として同じ女はいないという世の真実を痛感しましたね。どう?圧巻でしょ。
続いては、クラッシュアーモンド・ポッキー(しつこいって!)を織部の角皿に並べた箱庭群像小舞台といった趣の作品~♪ 『森、広場、7人の人物とひとつの頭部』(1950)
引きの絵でながめたら…枯山水やいけばなの「立花」のようにも見える―。小さな空間を宇宙に見立てるのが好きな日本人の感性には、特にフィットしやすい気がしました。見飽きることがなかったです。
こちらは『広場、3人の人物とひとつの頭部』(1950)。台座の反り具合がたまらん!そこに点在するか細くて不安げな人間模様。刈り込まれた表現にジャコの繊細さが際立ちます。そして3Fフロアから2Fフロアを覗き見ると、会場全体がひとつの群像作品に―。
✑備忘録⑤ 一番欲しかったのは…
そして今回の展示でわたしの欲望に火がついたのは…スケッチ&リトグラフの数々です!『書物のための下絵』(1951)シリーズ、その躍動感に思わず心拍数が上りました。
そう、ドローイングも彫刻も、制作姿勢は首尾一貫して対象への肉迫というか、「コツン」とした手応えを人間の中に掴もうと全身でトライしてる風に感じました。また、そんな緊張感が漂う一方、作品の前に立つと不思議な包容力が立ち上り、実に柔らかなんですよ~。ご本人の狙いや制作の実態はかなりストイックなものだったみたいだけど、わたしはジャコの受け止め力に魅かれましたね。スケッチしてる様子が動画で残っているからチェックしてみて。「おーっ、ここから書き始めるのかーっ!」と目からうろこです★
watch Alberto Giacometti paint!
✑番外編 なぜか“古代文字”
鑑賞後、繰返しジャコの作品を思い浮かべていたら、なぜか古代文字のイメージが頭の中を駆けめぐるようになったわたし(汗)。そこで、図書館で『こわくてゆかいな漢字』(二玄社書店)という本を見つけ、文字の字源を知る楽しさに浸りました。ジャコの作品も文字の起源も、人の営みの本質をミニマルに捉えてる気がして、イメージが連鎖したのかもしれません。
こんな動画もあります。楽しいな~♫
甲骨文字のデザイン性にはかねてから注目していましたが、字源を探って調子に乗ったところでわたしも創作!マブダチYちゃんからもらったダンス少女プリントのランチョンマットをベースに、酉の市の熊手を意識したミニ団扇を作り、刺繍で文字を入れてみたの~♪ 友人たちへのささやかなお歳暮にしてみましたがいかがでしょうか(笑)。
すいません、いつものことながら大きく脱線しましたね(笑)。もう一度ジャコに戻って締めくくりましょう。実はじぶんでもスッカリ忘れていたんだけど、去年の『1日1枚シリーズ』1月11日に亡くなった人の似顔絵ページに、ジャコを取上げていたんですよ!予知してたのかな…(笑)。引き合わせてくれた豊田市美術館に感謝★ みなさんもぜひ実物を拝顔してきてくださいませ~。12月24日(日)まで開催中です。
PS 次回はX'masイヴの12/24(日)にUP予定。今年の『1日1枚シリーズ』を発表しますんでお楽しみに★