いつだって筒美京平 ♫

かつては、祖父母や両親が懐メロに聞き惚れている姿を、冷ややかに眺めていたものだったが、いつしかスッカリじぶんがその立場になっていて、唖然とする今日この頃(笑)。TVで歌謡曲黄金時代を振り返る特集が組まれたり、ラジオからティーンエイジャー時に刷り込まれたメロディーが流れたりするだけで、自動的に鼻歌全開になっているのだ(苦笑)。それが、当時たいして魅せられた記憶もない曲だったりすると、いったい何に反応しているのか、我が事ながら不思議でしょうがなくなる(汗)。


桑田佳祐 - 悪戯されて(歌謡サスペンスビデオver. + 映像作品『THE ROOTS 〜偉大なる歌謡曲に感謝〜』トレーラー)

でも、桑田佳祐『ひとり紅白歌合戦THE ROOTS ~偉大なる歌謡曲に感謝~』で、キチンとじぶんの“熱”と向き合っているのを目にして、なんとなく腑に落ちた。とりあえずわたしも歌謡曲ぐっとくる(©みうらじゅん)のである(笑)。特にわたしの場合、筒美京平が仕掛ける楽曲の世界観は、当時から毎回別格の体験だったのだ!

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天才作曲家・筒美京平のことは、いつかは書いておきたいテーマの一つだった。ところがわたし、音は聞き分けられないわ、リズム感は悪いわ、楽器もできないわの音楽的素養ゼロ人間だから、ハードル高くて…(汗)。ヤバイわあ~。

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例えば筒美氏のスゴさを手っ取り早く数字で表すと、1971、1972、1973、1975、1976、1981、1982、1983、1985、1987年と10回にわたって日本の作曲家別レコード売り上げ年間1位を記録。この71~87年は、わたしの小学生~高校生時代とガッツリ重なり、音楽にトキメク体験=筒美京平世界に直結しているってわけだ。具体的に好きだった曲名で年代順に振り返ってみると、まずはグループサウンズ(GS)界の小結役だったオックススワンの涙('68)。小学1年時からしてすでに王道のタイガースには背を向け、脇の布陣に注目してしまう性には我ながら呆れるが(汗)、少女漫画風キャラの赤松愛(わたしの髪型のルーツか?爆)と、なーんちゃって欧羅巴ムード漂うメロディに陶酔してたっけ…。


筒美京平コレクション 1

でもって1971年に入ると、出るは出るは…ヒット曲の連発!尾崎紀世彦『また逢う日まで』堺正章『さらば恋人』平山三紀『真夏の出来事』、南沙織『17歳』野口五郎『青いリンゴ』欧陽菲菲『雨のエアポート』。何とこの年筒美氏は、1年間に19曲もの新曲を世に送り出しているのだ!GSの終焉と同時に、日本の歌謡曲の幅をイッキに押し広げた立役者。子ども心に音楽で背伸びができる快感を味わっていた気がする。


筒美京平コレクション 2

そして翌年、72年年間21曲の爆走(汗)。初代アイドル歌謡の必殺仕掛け人として、西城秀樹麻丘めぐみ郷ひろみ、そのうえ小林麻美岡崎友紀まで網羅する仕事ぶり。1940年生まれの筒美氏は、若干32歳で日本のエンターテイメント界を音楽で揺さぶっていたことになる。とはいえ、子供の頃からへそ曲がりのわたし。オックス以降はアイドルに夢中になることはなく、単純に曲とアレンジのみに反応していた(どうやらわたしは、歌手=声質にしか関心がないみたい…汗)。中でも決定的だったのは、73年に人気ラジオ番組 不二家歌謡ベスト10で、南沙織『傷つく世代』を耳にしたときだ。

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カッコイ~イ!と心底ホレた★南沙織は、べたついた女子っぽさがない歌い手で、どちらかというと好感を持ってはいたが、このアップテンポな曲を我がものにしたときのイメチェンにはドキっとした。Gジャンから皮ジャンへ衣装替えしたかんじというか…(姉妹編となる『夏の感情』は、無名だった頃のキャラメル・ママが参加!今聴いても新鮮♪)。と同時に、生まれて初めて作曲家という黒子の影響力―つまり筒美京平その人に目が向いた記念すべき1曲となったのだ。


筒美京平コレクション 3

 その後も怒涛の如く歌謡界を刷新し続けた筒美氏。74年郷ひろみよろしく哀愁野口五郎甘い生活が共にヒットチャートの1位に輝き、翌75年は岩崎宏美イヤー『二重奏』『ロマンス』『センチメンタル』と、ぶっ飛びの傑作ラインナップが続くぅ~。一方でわたしも御多分に漏れず、中学&高校へと進むにつれ、背伸び欲求は洋楽にシフトし、青春気分はフォークやニューミュージックで補完していたが、夜のヒットスタジオのサロン的雰囲気で流れる都会派歌謡曲にも、やっぱり魅かれ続けたなあ…。


たそがれマイ・ラブ / 大橋純子

そして78年。渡辺真知子かもめが翔んだ日を、ユーミン『埠頭を渡る風を自作自演した同じ年に、筒美氏は大橋純子たそがれマイ・ラブを書いている。高校2年のわたしは、「なんかよくわかんないけど、女の人のバリエーションは色々あって、大人になるってカッコイイことなんだなあ…」と、この3曲によってボンヤリ噛み締めていた。そう、洋楽ではかなえられない具体性…なりたい未来の女の人のイメージを手繰り寄せた楽曲なのだ。天才筒美京平の引き出しは無尽蔵!世の中はピンクレディー旋風が吹き荒れていたけどね(遠い目)。


筒美京平コレクション 6

 そして80年代、筒美氏は勢いに乗るニューミュージックに目配せしつつ、アイドル歌謡の請負人として再びマシーンと化す!正直言ってわたしは、すでに歌謡曲のエグ味にお腹いっぱいだったが、当時の音楽業界は、発掘⇒実験⇒検証のサイクルによってアイドルの裾野は爆発的に広がり、もはや歌謡曲と一言で括り切れないほど多様な楽曲が日本中に吹き荒れていた。つまりバブっていたんですね。筒美氏も、田原俊彦近藤真彦といった最後の大物男子アイドルから、稲垣潤一CCB小泉今日子少年隊とまあ、あらゆる新素材の魅力を引き出し、黒子の帝王の健在ぶりを知らしめていた。


筒美京平 TV出演映像

筒美氏の活動「匿名性をどこまで維持しながら、音楽活動を行えるか」がコンセプトだという。これほど夥しい数のヒット曲を世に送りながらも、ご本人が取材に応じることはめったになく、もちろん今も現役。一時期、曲を発表するペースがあまりに早かったため、「実在しないのでは?」「ゴーストライター集団による擬人ペンネームでは?」といった噂まで流れたらしい(笑)。後ろ姿はおろか、その影さえ踏めないほどのスピード感で時代を牽引し続けるプロ中のプロ(知ってた?「サザエさん」のテーマ曲も彼の作品♫)。しかもこの天才が手掛けるものには、絶えず新しさと憂いが共存しているのだ―。あ~、カラオケいきて~え♫

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余談…ここで話は大きくそれるのだが(汗)、本特集を書くにあたり、多少は歌謡曲についてのお勉強をしておかなくては…と、金子修介『失われた歌謡曲を引っ張り出してきて再読した。17~18年前に非常に面白く読んだ1冊なのだが、いやー、またもやバカウケ!地下鉄車中で、声をあげて笑ったことも!ー(本文より)「洋楽ってのは結局、外国の歌謡曲のことだろ、日本の歌謡曲を差別するんじゃない」と、自ら打ちたてた理論に縛られ、その結果、大脳新皮質<歌謡曲体>が形成されてしまった ーと書く金子氏は現役の映画監督。はい、こちらの善良そうなオッサン(1955~)です。

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けっこうイイ映画撮ってんのよ。一方で、彼の説くドメスティック歌謡曲理論は、愛と屁理屈が交差し、笑って片付けてばかりもいられない鋭い考察に満ちている。特にアイドル論に関しては、日本を俯瞰した視座で捉えていて脱帽。ここに書き切れないのがザンネンだが(いつか金子特集組みたい❤)、ぜひ古本でゲットして読んでほしいわ。ちなみに監督は、わたしが今一番カラオケをご一緒したいお相手で~す(笑)。

 

PS 次回は11/19にUPします