鶴舞公園―聖地☀編

またまた登場、鶴舞公園レポート第4弾!今回は6月後半以降の園内をご紹介します★みなさますでにご存知でしょうが、鶴舞公園は若者たちが夏休みに入った瞬間から、連日スゴイことになってます。はい、Pokémon GOです…(汗)。とはいえ、前回取り上げたバラ祭り(鶴舞公園ー初夏編)以降、日々の変化は他にもいろいろあるのです。ここでは園内スケッチの数々をまとめてお届けいたしましょう♪

 

▶梅雨どき限定、「紫陽花」の聖地!

6月下旬、菖蒲池に沿って咲く「あじさいの散歩道」は超ゴージャスだった!3500株だって(汗)。散歩道というよりはほとんど“街道”してたな。この厚みと、しっとり華やかなかんじは、マツコDXを連想せずにはいられない…(マツコはバラより紫陽花のイメージ)。

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▶年がら年中、「カラス」の聖地!

鶴舞公園は野鳥の宝庫だが、中でもここのカラスは自己顕示欲がやたらと強く、絶えず我々を意識してポージングしてるとしか思えない(苦笑)。見よ、このフォトジェニックな姿を!っていうか、もしかして本人は鷹のつもりか?

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胡蝶ヶ池には鴨や鷺も生息。素敵よね~。池で野鳥と出くわすとなぜかドキッとする。見てはいけないものを見たような気分になるから不思議。ツイ息を潜めて魅入ってしまう―。

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▶朝から「極楽浄土」!

そして7月初旬、胡蝶ヶ池の蓮が咲き始めたときの興奮は忘れられない。通勤でここを通るのは毎朝10時ちょっと前だが、「仕事なんかしてる場合じゃないだろう!」と、何度トンズラしようと画策したことか(爆)。引きの絵でこの光景を眺めると、ふーっと足元が30センチ浮き上がり、この世の果てまでひとっ飛び。ちんぴらが極楽浄土を夢想するなんて、かなりズーズしい話ではありますが…(汗)。8月いっぱいまで楽しめるようです、ぜひ早朝に訪れてみて!

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▶いつも「キレイ好き」の聖地!

以前にも紹介したが、園内作業員の方々のキビキビした清掃風景には、日々感服。彼らは小回りの利く清掃用具をいろいろお持ちで、どれも機能性抜群なんだわさ。さて、ご婦人作業員が使用しているこの台車、私はミニパトと勝手に名付けているが(笑)、コンテナと手押し車を合体させた優れもの。ゴミを拾いながら台車の中で分別できるよう工夫されてるみたい。手作り感満点、マジに欲しい!

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▶なぜか「ポケモン」の聖地!

いやはや、何が起こるかわからない。ポケモンにもゲームにもまったく縁のない私(汗)。でも、世の中が夏休みに入った初日、我が庭園がうつむいてぞろぞろ歩く若者で埋め尽くされているのを目にしたときは、ひょっとしてこれが噂のPokémon GOか?とすぐにピンときましたね。

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 で、私にはその光景が、あの点描画の名作 ジョルジュ・スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』(1884-86)とダブっちゃったのよね~。

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点描画のそこはかとない空虚さ(パラパラしてる)と、みな一様に静かにうつむいてスマホをのぞく光景(こっちもパラパラ)がシンクロしたんだよなあ。130年前のパリと現代の日本が響き合う(?)…これもまた一興だ★

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しかし、歩きスマホ禁止の看板が立ち、ゲリラ豪雨が襲ってもその場から動こうとしない愛好家たち…。なんだろうこの求心力は?ただ、花見と違って、うるさく騒ぎ立てないから、私は意外と気にならない。そしてタイムリーなことに、東京に住む友人Yから新宿御苑のスナップが届いたが…向こうでも会話はなく妙に静かだって(笑)。公共の場にわざわざ出向き、とことん私的な振る舞いに大人しく明け暮れるみなさま―HOTなのかCOOLなのか、この騒ぎは未だ掴み切れないな。

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▶将棋&囲碁に萌える、「オヤジたち」の聖地!

そもそも鶴舞公園は、ポケモンよりうーんと昔から、将棋&囲碁オヤジたちの聖地なんだよ!天気のいい日は、普選記念壇の観客席で、ビール片手に将棋や囲碁を楽しむオヤジたちがたむろってて実に楽しそう♪ タバコは吸い放題、暗くなったらお開きと、まったく自然の摂理のママで、文句のつけようがございません(ぺこり)。男って男同士でいるのがホント好きよね(笑)。

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対戦相手を探して集まるオヤジもいれば、個々に黙ってうつむくゲーム好きもいて、鶴舞公園は本日も“来る者拒まず”。これぞまさしく聖地の証なり―。

 

 次回は8/20に更新です。リオ五輪特集だよ、お楽しみに~★

 

トリコロールつながり ♪

いつも『ちんぴら★ジャーナル』をご愛読してくださってありがとうございます!ブログを始めてすでに半年。どうもアクセス解析によると、のぞきに来てくれてる人が毎回最低100人はいるらしい…。最初は知り合いに「ヒマつぶしに読んで~」と、声掛けしたわけだけど、100人も友だちいないし(汗)、一体どんな人が訪れてくれているのやら…サッパリわかんない(笑)。でも100人村ってなんかいいなあ~。私にとってはベストなサイズ感よ。どんなボールを投げても、笑って拾ってくれそうで(笑)。というわけで、今回はいつにも増してくだらない“ムダ話”を綴るから呆れて読んでね。

 

ホント、どうでもいい話なんだけど、私はしょっちゅう様々な人にイロイロなものをもらう(汗)。いやー、ありがたいことです、果報者です(涙)。でね、フツーの人はもらわないようなテイストのものも、しばしば集まる(笑)。それをセレクトしてくれる贈り主が、個性的な生活者かというとそうではなくて、むしろみなさんちゃんとしている大人な方たちなんだけどね(笑)。そんな中、フと最近気がついた…。もしかしたら、いただき物に法則性があるような、ないような…。いやいや、単なる錯覚か?(笑)

 

【フェルト製の室内履き】

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もったいなくて自分では使えず客用に。すでにクタクタ(汗)だけどカワイイ!

【アンティークのミニボール】

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直径12センチはドレッシング作りに最適。この色合わせは珍しい~★

ZUCCAの腕時計】

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進呈者が愛用していた懐かしの一品を私が受け継いで使用中💛

【ヘビーローテのハンカチ】

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知ってる?ハンカチは縁のデザインこそ命!使いすぎて色褪せしてますが(苦笑)。

【la droguerieの定番ボタン】

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フランス製のボタンをブローチとチョーカーに加工してプレゼントしてくれたもの。こちらもヘビーローテ過ぎて、身体の1パーツになってるような錯覚さえしちゃう(笑)さてこの辺りでネタバレしたかな?いただき物の法則性。何だか、赤・白・青のトリコロールにちなんだものを贈られることが多い気がするわけ。

【Jansen+coのマグカップ】

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ほら、キュートなオランダ製のマグカップ、どうみても前出のボールと親戚でしょ?

【中国製ノート2冊】

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友人が谷中を散策中に見つけたというノート。紺と赤のセットにしたのは偶然か!

【チビっこい入れ物】

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 セルロイド製のピルケースはクリップ入れに、不二家フランスキャラメル(!)の空き缶は切手入れに。両方とも20年以上前にいただいて今も愛用中。

【梱包テープ】

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ワレモノ注意表記のプリントテープ。文房具とトリコロールの相性よし。

【王様のラスク】

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グーテ・デ・ロワ、サクっと美味いよね~。マブダチRからの定番差し入れ。

【アップリケ付きポット・コゼー】

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滋賀で暮らす友人がくれたコゼーは、めちゃ保温性の高い優れもの。花柄プリントが私にはフェミニンすぎたので、悪ふざけにアップリケをほどこして超愛用(笑)。ピンクと青と白、これも変形トリコロールだ!

 

そんなわけで、いただきもののトリコロールつながり』いかがでしたでしょうか♪ っていうか、もらいもの自慢かよ~と突っ込まれそうね。はい、そうです、自慢です(笑)。こんなに多様な用途のものが集まることだけでも、友人に恵まれているなあと思う次第です。あと、やっぱり贈り物って贈り主自身の好みがどこかに繁栄されてるものだから、大概彼らもトリコロール好きだと推察してるわー(笑)。

 

NIKEスニーカー、8000円也】

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そんな中、10年ぶりにスニーカーを買った。こちらは正真正銘自分で購入したトリコロール。ブログのオチ用に選んだのではありません(笑)。

【番外編】

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マブダチMの息子(24歳)が只今お遍路さんを体験中。道後温泉で一服している写真に3色団子を発見し、これもトリコロールだ!と勝手にひとり快哉を叫んだ。拡大解釈しすぎ?(爆)でも、何十キロも歩いた後に温泉に入って、こんなお茶菓子をほおばるなんて、至福だろうなあ…。これぞトリコロール青の愛、白の愛、赤の愛か!(キェシロフスキ監督好きのFが怒り出しそうー汗)

 

次回は8/10に更新です。ポケモンが侵略中の鶴舞公園をレポートするぜ~

すべては雑誌からはじまった!   【① 暮しの手帖の巻】

とと姉ちゃん』に朝から燃える!

◆ちんぴらとNHK朝の連続テレビ小説―不釣り合いな取り合わせだと思うだろうが、4月から始まった『とと姉ちゃん』毎回楽しみにしている。それまでは、ほぼ時計代わりに流しているだけだった朝の連ドラだが、たまたま初回で目にしたヒロイン一家の生活空間に目が止まったのをきっかけに、熱心に眺めるようになった。

◆舞台は1930年の浜松。両親と3姉妹が暮らす小橋家の住まいは、当時のごく一般的な家屋を再現したものなのだろうが、現代と比べたら格段に端正で趣味がよかった。いや、むしろ贅沢と呼びたい代物だった。必要最低限の道具を整理整頓してスッキリ暮らす住まい方には品格があり、上質な撮影セットにツイ身を乗り出してしまったのだ。そんな美しい日本家屋で繰り広げられる一家5人ののびやかな生活描写と、敬語で交わされる親子の日常会話が、これまた妙に新鮮で…。日本人って、何て慎ましくいじらしかったのだろうと改めて思いましたね(涙)。

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◆そんなわけで、このシリーズはちゃんと見るぞ!と姿勢を正したら、ヒロインのモデルが、あの暮しの手帖を創刊し、暮しの手帖社の創業者でもある大橋だとわかり、さらに興味が湧いたのだ。大橋さんの名前は知っていたが、創業当時のエピソードや、戦後すぐに登場した女性編集者の生き方がドラマ化されるのは、めったにないことだものね ~♪ そして今月に入るとドラマは小橋家の戦後編となり、ついに先週(第16週)、天才編集者・花山伊左次(モデルは花森安治)を編集長に迎え、新雑誌立ち上げの中盤の山場へ突入!もう、朝からワクワクしちゃってタイヘンだ(笑)。

【ここに注目👀】ヒロイン常子の高畑充希や花山役の唐沢寿明をはじめ、達者な役者のそろい踏みはもちろんのこと、『とと姉ちゃん』の撮影セットは毎回ホントすんげーいいのよ~。クオリティの高さに頭クラクラ!単なる金のかかった背景じゃない。さりげないところまで美意識が行き届いていて驚いちゃう。花山伊左次がバイトしていたバラックの喫茶店なんて、モロ私の理想の小屋だったわ★ 青柳商店&森田屋セット紹介|特集|連続テレビ小説「とと姉ちゃん」|NHKオンライン

 

唯一無二の硬派生活雑誌暮しの手帖

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◆さてそこで『暮しの手帖』である。 泣く子も黙る天才編集長・花森安治と、女性企業家の先駆者・大橋鎭子が創刊した独創的な硬派生活雑誌だ。いまも他の追随を許さぬこのユニークな雑誌の軌跡は、ドラマ&書籍&暮らしの手帖HPを参考にしていただくとして、個人的な感想をこの機会に書き記しておきたい。ちなみにバックナンバー、けっこう持ってます!色褪せしてても、私の貴重なお宝資料です★

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暮しの手帖』と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、毎号丸ごと一冊ひとりで全てをこなしていた花森安治グラフィックアート。特に創刊号から亡くなるまでの30年間、彼が手掛けた表紙は、息をのむほど素晴らしい★ 左の2冊は創刊間もない頃、昭和24年発行の5号と6号。どうよ、この室内イラストのセンス!一つ一つの器物選びの審美眼とその配置&配色、そして絵にしたときの風合いまで…パーフェクトだよね?いまの雑貨スタイリストが見たら悔し泣きするんじゃない?(笑)はたまた次の3冊は、昭和26~30年発行のもので、一転してぐっと抽象度が増してゆく。余白の取り方が上手いよね~。

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 ◆普段使いの道具をイラストにしても、イチイチ洗練されてて目を見張る。モノを通して日々の暮らしが愛おしく感じられるような空気まで立ち上り、思わず手に取りたくなる。ただし、生活実用書であっても一般的な意味での保守性とは無縁。画材を変えたり、写真を撮り込んだりして絶えず自由で大胆な試みがなされている表紙からすでに、この雑誌の基本姿勢が物語られているのだ。

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◆左の59~60号はちょうど私が生まれた年、昭和36(1961)年に発行されたもの。グリンピースの水玉、フレアースカートに見立てた傘、シルエットで構成された台所収納棚…私の好きなデザイン性がすべて出揃っていてウットリ。そして不思議なことに、今の私の生活周辺のデザインも、このイメージの延長線にあるものばかりなんだよなあ…。生まれながらにして花森ワールドが刷り込まれているのか?(笑)

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◆いやいや刷り込みは、生まれた年の号ばかりじゃない!こちらは超有名な創刊号の表紙(1948年)だが、その隣は昨日(2016年)の私の部屋の一角(汗)。もちろん真似したわけじゃないが、自分でも撮ってみてビックリ。20代にこの表紙絵と遭遇しすごく惹かれてそれが30年以上ずっと変わらずいつしか自分のインテリア感性の黄金比と化しているみたい(苦笑)。箪笥の引き出しに、その日着用した服を挟んでしわ伸ばしをするクセだけは、母からの伝授だが(一晩吊るすとけっこう元に戻るんだってば~)。

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◆ただ正直言うと、1970年代のティーンエイジャ―時代にこの雑誌から受けていた印象は、“風紀委員みたいでウザイ”だった(汗)。銀行や病院の待合室で仕方なく手に取っても、文字量は多いわ、級数が小さいわ、明朝だらけで、冒頭のグラビアページの斜め見だけで片づけていた。カッコいいのか悪いのか判然としない味わいだけは見過ごせなかったが…。ところが、19歳の頃に知り合ったバイト先の非常に先鋭的なオーナーが、花森安治草間彌生を敬愛している女性で、そこからちょっと見る目が変わった。当時『STUDIO VOICE』や『流行通信』を購読しているオーナーが、一方で正反対のイメージの花森=『暮しの手帖』に一目置いている点に新味があり、強く記憶に残ったのだ。

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◆やがて80年代、世の中がバブルに浮かれ出すと、流通するものがどれも同じでアホらしくなり、ひとり古本屋を巡り歩いて、自分がインスパイヤーされる資料を収集するようになった。美の基準は私自身が「ハッ!」とするものであればなんだっていい、自分から見つけに行き、それをヒントに創造の花を咲かせよう♪と―。古い『暮しの手帖』を見つけ、遅まきながら花森安治の天才ぶりに気づいたのも、ちょうどその頃だった。結局読み物(贅沢な執筆陣!)ページには、一向に食指は動かなかったが(汗)、グラフィックアートの教科書として、何度見返したかわからない。

 

すべては雑誌から― 📖

◆そう、私のアイデンティティは雑誌を通して育まれた。この半世紀をざっと振り返ってみても、「すべては雑誌からはじまった!」と思うことばかりだ。そこで、せっかくだからシリーズにして、自分の血肉となった雑誌の数々をぼちぼち紹介して行こうと思う。気の向くままに綴るから、引続きよろしくね~。

 

PS 唐突ですが、目下公開中の映画『ブルックリン』('15)がオススメです★ 故郷アイルランドを遠く離れ、ひとり見知らぬ街ブルックリンで新生活を始めるヒロインの心模様が繊細に綴られ、ぐっぐっーと引き込まれます。野に咲く花のような、ささやかで可憐な印象を残す1本。『とと姉ちゃん』が好きな人なら、必ずフィットするわよ!

次回は7/30に更新です。

 

 

勝手にシネマ評/『FAKE』('16)

森達也の15年ぶりの新作ドキュメンタリーが公開中だ。タイトルが『FAKE』だって!やるなあ~。でも、私の中の森監督に対する“満を持して”という気分は、とうに蒸発してしまっているので、今さら嘘をつきに映画に舞い戻ってもらってもなあ…ではあった。劇場関係者に訝りながら聞いたわよ、「本当に面白いの?」と(笑)。よく知らない疑惑の作曲家より、なが~いブランクを経た森監督の方が私には疑わしかったのだ。


映画『FAKE』予告編

 

聴覚障害、現代のベートーヴェン、NHKのガッツリ後押し、ゴーストライター騒動…と、派手な見出しと共に突如出現した佐村河内守氏のことは、一連の騒動時に初めて知った。ちょうど2年前、「1日1枚お習字」という一人遊びをしていて、その日の備忘録を半紙に墨汁で描き綴っていたから、モノとしてもしっかり残っている。2月6日「疑惑の交響曲」、2月17日「ゴッチ&ガッキー」などと、一応ウケで書いたが、あの手の音楽の感性を私はまったく持ち合わせていないので(汗)、「持ち上げられたり落とされたりする類のビジュアルだよなあ」で終わっていた。でも、世間の関心だってその程度だったのではないか。同じ時期の理科研の騒動と比べたら、内輪揉めも小粒で気がラク(苦笑)。マスコミは胡散臭さを暴こうと躍起になっていたようだが、メシのタネにするための仕掛けが露骨すぎて、すぐにゲンナリした。何より、本当のことなんていったい誰が知りたいのだろう…と眺めていた記憶がある。

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で、今回、謝罪会見以来、音沙汰なしだった佐村河内氏を、森達也がドキュメンタリー映画にして再び世間にお披露目するという。本業から離れ、ご無沙汰な2人の博打とも受け取れる異色コラボ。作品の出来より、これで世間にスルーされたら相当キツイだろうと思っていたら…何と劇場は満席。しかも場内爆笑の連続で、意表を突く展開となった!

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線路沿いに建つとあるマンションの一室。佐村河内氏と妻のかおるさんが、世間の目から逃れるように暮らす自宅に、監督自ら出向いて取材するスタイルが、本作の基本制作姿勢だ。カーテンが引かれた居間で、監督は早々に映画の狙いを2人に説く―「怒りは後ろから撮ります。僕が撮りたいのはあなたの哀しみです」と。いやー、笑った!森さん、冒頭から飛ばしてる。おまえは涙の再会司会者・桂小金治か!と突っ込みたいくらい、いつになく演歌モードでデバってくる。そこに神妙な顔で居合わせる佐村河内氏と、手話で伴走するかおる夫人の3人の取り合わせがあまりにてんでバラバラなため、イメージが集約できず、この先一体何が紡ぎ出されるのか、いい意味で見当がつかない。…まんまとノセられましたね。ほら、そもそも私、佐村河内氏の音楽性にも履歴にも興味がないので、本作を通じて私の目に映るもの―つまり映画として面白いかどうかだけを判断基準にしてのぞんだわけ。それに対して監督の配球はサエまくっていた。何といっても、夫婦を前に緊張させるべきところと、タイミングを外して泳がせるところの緩急の使い分けが絶妙で、終始アクロバティックな揺さぶり質問をぶっこんでくるのだ。

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るほど、監督はフェアな傍観者ではなく、自らを演出家として映画にキャスティングしているのね。長いブランクなどまったく杞憂だったかも~。「僕がタバコを吸いたくなったらどうすればいいですか?」などと、他人の家に上がり込んでどこまでも強気なオレ様振る舞いをするかと思えば、佐村河内家の食事情にフォーカスし、観客の覗き見心をグリグリくすぐる。食事の前に豆乳をガブ飲みする佐村河内氏、…この絵イッパツで疑惑のイメージを脱力させ、さらに土足で踏み込む自分(監督)との対照性で、「ゴッチ、意外とカワイイ奴かも…」と親密度を高める演出設計に抜かりがない。また、佐村河内自身による涙声の言い訳タイムを一通りは撮り込むものの、真意はあえて問題にせず、「心中だからね」と覚悟を告げて、チームFAKEの結束を固めてみせる。実に恐ろしい!そしてここに、バラエティ番組出演依頼で来訪するフジテレビ取材陣は、まさに“飛んで火にいる夏の虫”。マスコミ=どこまでもインチキ&低俗のパッケージが、お手本のようにスルスル出来上がっちゃって、それはそれで短絡過ぎる気はしたが、実は彼らさえ前座にすぎなかったというオチまで用意される。

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は映画の後半に顔を出すアメリカの取材チームだ。観客ウケ用のいじられキャラを求めるわけでも、笑いが欲しいわけでもないこの外国人組は、容赦なく本質をガシガシ攻める―「どうして作り話をしたのか?」「本当に創作に関わったなら音源を見せてくれ!」と。なるほど、疑惑を晴らしたかったら証拠を出せと、ひどくまともな説得をしつこく繰り返したのだ。楽器も持っていない佐村河内氏はさすがに大ピンチ。しかし、身を強張らせ、苦渋の沈黙しか打ち手がないこの緊迫の場面で、なんとこの私が「オマエら一体何様のつもり?日本人はグレーで上等なんだよ!」と、いつしか佐村河内氏に成り代わって抵抗しているではないか!「おだてる」と「バッシング」を、交互に繰返して退屈をしのごうとする社会にはもちろん辟易するが、立証できなきゃ真実じゃないと切っ先を向ける社会も私はノー・サンキューなのだと、改めて気づかされた瞬間だった。どんなに引いて眺めていても、『FAKE』は当事者意識を炊き付けてくる。己のモノサシを試される映画なのだ。

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、どんなに目を凝らしてもわからないこともあった。かおる夫人の心境である。なぜ彼女はこれほどの犠牲を引き受けているのか、そのモチベーションの源泉がサッパリつかめず、これまたいい意味で映画に陰影を与えていたような気がする。監督は佐村河内氏に、愛情と感謝の言葉を妻に捧げるよう誘導するが、うーん、ここは意見の分かれるところ。陰で支える妻というより、彼女には自分が生んだ子を見届ける「昭和の母」の面影がチラついたからだ。新幹線に乗って長旅に出るツーショットなんて、小学生の息子の手を引いて掛かり付けの病院へ向かう親子図そのものだったもの…。

 

は、佐村河内氏の本当のご両親や、ゴーストライター役だと名乗った新垣氏も撮影し、ある種の“ファミリー・ヒストリー”状態となってゆく。振り返れば守くんは、心優しき大人たちに守られ、それに甘え過ぎたお坊ちゃまくんだったのではないか。だから最後の最後に一発逆転!守くんは、シンセを買ってもらって、頑張ります宣言をするのだ。守くんのか弱そうなふくらはぎと、かおるさんのシンパイ顔は私に授業参観の場景を連想させ…。そう、『FAKE』は尾木ママも腰を抜かす教育映画に着地した。おそらくこれ以上意表を突くFAKE=偽造はないだろう。(但し猫ショットは不要!)

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た人全員が世間の視座を再定義する衝動に駆られ、しかも答えはみな微妙に異なるだろう映画『FAKE』。さて、あなたの見解は如何に―。今すぐ劇場へGO!

さらにもう一本! 長年にわたるドーピングにより、自転車競技から永久追放されたロードレース選手ランス・アームストロングの栄光と転落の人生を実話をもとに映画化した『疑惑のチャンピオン』('15)と併せて見るとより面白い。役者が再現する劇映画(疑惑のチャンピオン)が本当のことのように見え、当人が出演するドキュメンタリー(FAKE)の方がむしろ虚実の境をあいまいにする―。映像とは…真相とは…人間とは…いったい何だろう?と考えずにはいられなくなる。

 

FAKE
2016年/日本/カラー/109分

監督   森 達也
撮影   森 達也/山崎 裕
編集   鈴尾啓太
キャスト 佐村河内守

 

PS 次号は7/20にUPしまーす

 

 

 

「1日1枚シリーズ★」やってます!

をかけずに、思いっきりくだらない一人遊びをさせたら右に出るものなし!―それは私、ちんぴらです(笑)。今回はその一人遊びの中でも、ほとんど修行と化している(?)狂人日記シリーズの一部をお披露目しよう~♪

何がきっかけだったかは、すでに記憶にないのだが(汗)、2013年から1年に1つテーマを決め、365日毎日そのテーマを追い駆ける遊びを続けている。それが「1日1枚シリーズ」だ。例えば2013年は1日1枚 名画模写」銘打って、毎日古今東西の名画を模写しまくった(汗)。なぜかその勢いは年をまたいでも止まらず、2014年は「1日1枚 お習字」、2015年は「1日1枚 ラクガキ」と、もはややりたい放題バカし放題。誰か止めろよ!と、ひとり突っ込みしてる始末だ。まあ、誰にも迷惑をかけず、ひとりで面白がってるんだから出涸らしになるまでやるだけよ★

 

2013年制作「1日1枚 名画模写」

▶私は自慢じゃないが大きな目標も綿密な計画も立てられない性分だ。だが1年はほぼ365日と決まっているから(笑)、毎日何らかのアクションをすれば、365個の成果物が自動的に出来上がるんだよなあ…とある日閃いた(爆)。そこで般若心経じゃないが、手持ちの画集を引っ張り出し、模写でもしてみるか!とスタート。ただ、毎日キープできる時間はせいぜい1~2時間が限界。1時間以内に仕上げるために、①使用する道具は鉛筆とA4のコピー用紙のみ ②オリジナル作品の縦横比に合わせる ③画けない日は翌日に持ち越しOK 以上3点にルールを絞った。

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▶けっこう頑張ってはいるが、1週間もしないうちに早くも後悔(汗)。「なんでこんなこと始めちゃったのか…」と。そもそも手を動かす作業が好きだから、夢中になると止まらない。むしろその日中に仕上げ切らないといけない時間の制約が悩ましかった。

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▶描いていて一番楽しかったのが、9月1ヵ月間集中的に取り組んだゴッホの模写。元の絵がいいと素人芸もそれっぽく見えるから不思議だったなあ。まさに「わだばゴッホになる!」だ(笑)。

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▶最初の頃の絵と年末の絵では描き込み具合が全然違うのよね。これには自分でもびっくり。画家の友人に、年末にはミケランジェロが描けるようになってるよ!とハッパをかけられた。とはいうものの、システィーヌ礼拝堂には到達できなかったが(苦笑)、自分でも形と分量を捉える筋力は確実に付いたと思ったよ。でもそんな力付けて一体どうする?(爆)

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2014年制作「1日1枚 お習字」

▶「100円SHOPでお習字道具買ってきたから書初めやろう~♪」。毎年1月2日にウチへ遊びにやって来る友人Tの誘いにノり、何十年かぶりに筆を握った2014年正月。これがメチャ快感でさー、名画描きを終えた翌年は日記代わりに習字で時事ネタを綴る1年となった。

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1/18 2年前は猪瀬、そして今年は舛添…何も変わっていないぜニッポン

2/6 2年後、あの佐村河内氏はドキュメンタリーに登場してるらしい!

3/7 シャレのつもりが…。シャレにならなくなったよ(汗)

4/2 理科研とオボちゃん、この後泥沼

 

▶今読み返すと爆笑の連続★半紙1枚(MAX6文字)に収めるキャッチを連日ひねり出し、書くときは正座して一気呵成に仕上げましたね。墨汁の匂いも非日常で◎だった。

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4/19 列島を席巻した『アナ雪』の挿入歌、私には騒音にしか聞こえず

6/14 すでに2年前、ドイツでマイナス金利がスタートしてたのよ!

7/12 個人情報漏えい。どこの会社も内心ヒヤヒヤだっただろう

8/13 エボラ熱騒ぎ、今年ようやく終息したらしいが…。

 

▶あんなことも、こんなこともあったのね~♪その後の日本を予測するような一言も!そしてラストは、24年間務めた会社を退職した日に書いた一枚。「1日1枚お習字」は、後10年くらい寝かせると、さらに味わい深いものになりそう…保管が大変ですが(汗)。

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9/11 慰安婦問題の誤報で天下(?)の朝日新聞社長が謝罪

9/26 熊の出没、今年もよく耳にするよね~。これは何かの予兆か?

10/9 村上春樹、その後もノーベル賞候補と言われ続けているが…。

 

2015年制作「1日1枚 ラクガキ」

▶そして3年目。すでにこのシリーズをやめるにやめられなくなってしまいました、はい(汗)。サラリーマン生活をおさらばして解放感に浸りきっていたから、2015年の制作は「ラクガキ」。手抜きの極みだ(笑)。名画を、何と今度はお笑い道具に使ってみたわけよ。まっ、天に唾するようなものね~。

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▶でもラクガキだって毎日となると苦労も多い。バンクシ―みたいに、才能があるわけじゃないからすぐにネタ切れ。そうそう、他人のふんどしを借りて遊ぶとき、そのふんどしも大物の方がノレるしキマリやすかったよ。

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▶ポストカードの多くは、表面にコーティングがしてあるから、基本道具は油性マジック!ラクガキにハマっているとき、美術館で作品鑑賞していると、「この絵にラグガキするなら、ここだなあ~」と、ツイ想像しちゃっていたわ(笑)。大丈夫、美術館にペンは持ち込んでいませんから。

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マチスのモデルは3本手になり、神坂雪佳の杜若はモビールに。 あー、ホント楽しかった★

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のシリーズも、いま見返すとけっこう貴重な定点観測になってんの!日々是端正…守口漬けのように、アーカイブスがとぐろを巻いております(笑)。そして今年ももちろん「1日1枚シリーズ」は実行中!すでに半年経ておりますが、快調に飛ばしてますよ~。で、今年は何をテーマにやってるかって?…ヘヘヘ、それは年末のお楽しみ~♪ さあ、あなたもこの下半期に、何かバカをやり通してみない?

 

PS 次号は7/10にUPします

 

 

 

なぜか魅かれるもの―⑥

なぜか魅かれるもの―6回目は趣向を変えて、形のないものを取り上げてみたい。…それはファミリーヒストリー! 同名タイトルのNHKの番組、私けっこう好きなんだよなあ。他にも、作家自身の家族をモデルにした小説や、何代も続く家業の話、血筋が立ち上るエピソード等に、すごくそそられる。それも、有名かどうかに関係なく、ごく普通の人々のファミリーヒストリーにもなぜだか血が騒ぐわけ。例えば友人の冠婚葬祭シーンに列席し、その親族の姿を目にすると、当人から日頃聞いていた生い立ち話が実録ものに具体化され、まるでナマの家系図を見るようですごーくテンションが上がる。友人の背景にグッと厚みが増し、その人の生の濃度がいつもより濃く感じられ、水彩だった絵が突如油絵に変わって見えちゃうかんじ(笑)。さすがにヒストリーにまではたどり着けないが、ここでは最近感銘を受けた2つのファミリーエピソードを書いておきたい。個別な話なのに、身に覚えのある話に思えてくるのが実に不思議だったのよ!少々長いが、ぜひお付き合いを―(ぺこり)。

 

海外赴任中のKくんの写真にまつわるファミリーエピソード

▶私には「今度生まれ変わったら、コイツのねえちゃんになりたい!」と思う8歳年下の“妄想”の弟がいる(笑)。Kくんとのつきあいはもう20年になるが、去年から単身でロンドン赴任となり、時折り近況をメールで共有しあっている仲だ。

▶そんなKくんがこの春、80歳になり腎臓が悪くなってきた母上と、2人の姉上(こちらは本当のねえちゃんです!)の3人を赴任先のロンドンに招待したらしい。母上にとっては海外旅行の最後のチャンスになるかも…と思っていたら、シンパイするよりぜんぜん健康で、あちこち丸一日連れ回しても平気なくらいだったとか★

▶そして夜は上のお姉さんよるアルバム写真大会お姉さんに頼んで、むか〜しの家族アルバムから写真をiphoneに撮って来てもらい、それを大型テレビでみんなで見て懐かしむという遊びをしたんだって。何百枚もあるのに、1枚ごとにあ〜だこうだと何分も話し込むから、盛り上がりすぎてちっとも終わらなかったそうな…(笑)。

  • シゴト場でくわえタバコでシゴトをしている父の職人写真
  • 父兄参観でキレイだと言われていた若かりし頃の母と友達の母さんたちの写真
  • いつも母が作った服を来ている僕たちの子供時代の写真
  • 家族でカローラにのって行った長島温泉
  • 中学生で丸坊主のボクの写真
  • 青年団の盆踊りで踊っている姉と近所の親戚の人たちの写真etc…

どこを切りとってもそれは昭和の象徴のような…三丁目の夕日そのものだったという。厳密にいうと『三丁目の夕日』は1964年が舞台。Kくんの写真群はそこから10年くらい経たものだとは思うが、彼の実家は四日市からさらに奥だから、時代の顔つきは『三丁目』と近しかっただろうな。さらに言えば、当時はどの家族にも似たような家族の情景があった。そう、日本人全員が同じ空のもとで、同じ方向を向いて生きていたのだ。

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▶一方で、Kくん自身が家長となって拵えた一家(夫婦と子供2人)の写真を見返したら、それは家族としての求心力よりもむしろ遠心力、それぞれが個々にがんばってる感のある写真が多いことに気づいたらしい。親戚との写真などほとんどないんだって。つまり家族や親戚や近隣というものとの関係性が大きく変わり、絶対の信頼の対象にならなくなった事実が写真に現れていると、書かれていた。

そうよ、そう!自分のアルバムを振り返ってもまったく同じ!子供の頃の写真には、親類を始め、ご近所、住み込みで働きに来ていた出稼ぎの職人さん、町内会の人たち、父の仕事関係者など、様々な人が写っていて、関係軸が多いのだ。ただあの時も「絶対の信頼」とまでは考えていなくて、自分たちの暮らしを「まあこんなもの」と認識し合う関係ではあった。「まあこんなもの」と言語化しなくても肌合いで了解し合えることが、かつての日本人の「信頼」だったのかもしれない。なのに、その当たり前に稼働していた共同体のわずらわしさにだけ目を向け、しがらみからの脱出=自由と定義したのは、他ならぬ私たち世代なんだよなあ…。

でも、失くしたものを数えたところでしょうがない。あの頃の共同体には、イチイチ行く手を阻む抑圧があったのも事実だもん。いい機能を思い出せる人間が、未来に形を変えてつなげばいいと思ってるけどね。

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さて懐かし続きに、50云年も前の我が家族の写真を引っ張り出してみた。父がカメラ担当だったからか、家族4人揃っての写真がほとんどない(汗)。機械もの=男の作業だったのね。そして我々の目線はいつもまっすぐ…気合入ってます(爆)。

 

Sさんの文系惜別のファミリーエピソード

▶私より1歳年下のSさん一家4人は、現在全員住処を別にしている。ご主人は単身赴任中で東京に住み、2人の娘は京都で大学生活を送り、Sさん当人はハードに仕事をしながら名古屋の自宅で犬といっしょに暮らす日々。一家は東・名・阪と3拠点に分かれてそれぞれの活動を遂行しているのだ。(どうでもいいことだが、Sさんちは冷蔵庫を4台持ってるってことか!)

▶そんなSさんの実家は四国(ちなみにご主人の実家は九州!)だ。この1年あまり、実家の母上の体調が思わしくないようで、まとまったお休みのたびに足繁く帰省している話は、しばしば耳にしていた。何せ親類は全員名古屋で、実家は地下鉄で20分の距離の私と比べれば、目配せのパワーだけでも桁違いだから、常々感心していたのだ。

だがどんな関係もいつかは終わるSさんはこの4月、母上の最期を見送ったという。同世代ということもあり、日頃から高齢の親やじぶんたちの行く末に関して、様々な角度から客観的に意見を交わしあってきた仲だが、彼女の口から聞いた母上との最期の日々に心が揺さぶられた。特にこのエピソード…

  • 若かりし頃、婦人公論に投稿した俳句が紙面に掲載され、それをきっかけに俳句が生涯の趣味となったSさんのお母さん
  • お母さんがあのハレの体験を思い出したら再び元気になるかも…と、ネットで「婦人公論」のバックナンバー入手方法を検索してみる(このとき同じような行動をしている人たちがたくさんいるのに驚く)
  • 問題は号数が特定できないこと。そこでお母さんのあいまいな記憶を頼りに年代を推察し、国会図書館へ出向いてマイクロフィルム検索を試みるが…探しきれない(汗)。
  • ところが一発逆転!ご主人の住む北関東にも雑誌のバックナンバーを扱っている施設があることが判明。早速ご主人が出向いて物色したところ…何と「婦人公論」1958年4月号にお母さんの句が発見できたのだあ~!
  • その頃、お母さんの容態は急速に悪化し始めたが、何とかSさんに届いた携帯の画像でいっしょに本を眺め、その後実物のコピーもお母さんは見届けることができたんだとか―(涙)。

▶Sさんご夫婦は今回の件で改めて文学の力を痛感したという。わかるなあ~。世の中に承認されていたものだから流通し、それゆえちゃんと物として残っていることの証だものね。当時、月に一度知的好奇心を満たしてくれる女性向け雑誌の影響力は、地方に暮らす人ならより大きかったことだろう。独身だった母上、そこに自分の名前が載ったときの高揚感は、その後の人生を希望多きものと捉えられるきっかけになったのではないだろうか。そうして母上の紡いできた文学の時間が、娘の力を借りて最期のタペストリーに織り上げられ、美しき大団円になったような気がする。

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当時の婦人雑誌は名高い画家たちが表紙絵を手掛けている。左から東郷青児藤田嗣治ライバルの「婦人画報」は猪熊弦一郎。それだけ売れていたんだろうなあ…。

ファミリーエピソードを紹介しながら、少し前の日本が見えた。そして2編とも、離れて暮らしていてもいざとなったら家族の求心力が発揮された話でもある。この先家族の話はどんな展開になるのだろう。意外に変わらないもののような気もするんだけどなあ…。

勝手にシネマ評/『山猫』('63)

ケメン映画天国!な~んて騒いでいたが、目下名古屋では映画史に残る本家本元の色男2人がスクリーンで拝めるのよ、知ってた?仕事休んで行ってよし!夕飯抜いても映画代工面しろ!ちまちまDVDなんかで見ようなんて思ってちゃ駄目だ!今すぐ劇場へ走れ!『ヴィスコンティと美しき男たち〜アラン・ドロンとヘルムート・バーガー〜』と題し、ルキノ・ヴィスコンティ監督作品『山猫』('63)『ルートヴィヒ』('72)が公開中。4K版の『山猫』は、イタリアを代表するブランド、グッチ(GUCCI)の支援により、マーティン・スコセッシ(さーすがマーティー、映画防衛隊長!)率いるザ・フィルム・ファンデーションが1万2千時間をかけて修復したもので、『ルートヴィヒ』もデジタル修復版は日本初公開だってさ。まっ、つまり劣化が激しいフィルムをキレイキレイに直し、色男たちの瞬の魅力を永久に祭ろうってわけよ。いや、色男だけを見に行く映画じゃないよー。特に『山猫』、今までに劇場で3度見ているが、老いさらばえる貴族の無常観が年を重ねるごとに胸に迫ってきて、辛抱たまらん!こんな映画、二度と作れないと断言できるわ。今回急遽12年前(2014.12)に見たときの映画評を引っ張り出してきたよ~(笑)。ぜひこの機会に足を運んでみて★


「ヴィスコンティと美しき男たち」予告編

 

い空に雲が流れ、ゆったり風が吹いている。生い茂る木々に沿って進むと鉄の門が現れる。その奥に構える古い屋敷―サリーナ公爵邸を目にしたとき、私は思わず武者震いがした…「あー、『山猫』が始まる!」―。

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『山猫』において、途方もなく広大な屋敷を正面で捉えるのが冒頭のこの僅かなショットだけだというのは意外なことかもしれない。但しこのショット、見逃すことはできない。なぜならここに薫るのは大邸宅の華々しいオーラではなく、威厳と一抹の侘しさだからだ。すでに『山猫』の基調音はここから認められている。やがて我々は庭を抜け、ゆっくり屋敷に近づき、「サンタマリア…」と祈りを唱える声のする一角に辿り着く。するとまたここでも風が吹く…。開け放たれた扉を前にしてレースのカーテンが揺らめき、しばしテラスから中の気配を伺う間合いのエロティックなこと!10年振り3度目の対面となった今回もどうしようもなく胸は高鳴った。『山猫』において、頻繁に顔を出すこの“風”というモチーフは、実に誘惑的な伴奏曲になっているのだ。

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んな滞空時間の長い前フリを経て、公爵とその家族がお出ましになる。お抱え神父に従って祈祷する様子は、さながら西洋古典絵画のごとき趣。室内の佇まいと、人々の配置、それぞれの振舞いが完璧な構図を作り上げ、扉が開け放たれていなかったら窒息してしまうほど重厚な光景が広がる。そう、サリーナ公爵家及びその屋敷は、一つの“国家”として我々の前に立ち現れるのだ。そして今この“国家”は、土足で踏み込んできた新しい勢力に翻弄され、傷つき、決断を迫られている。その渦中に立ち、貴族社会に終止符を打とうとするのが、主人公ドン・ファブリツィオ公爵である。豊かな髭を蓄えたこの男は、一家の食事の時間まで取り仕切る生まれながらの権力者だ。しかし一方で、時代の変化に無闇に抗することはなく、歴史的変革期にでさえ世の中を諦観する構えで居合わせている。特に、彼がすばしっこい目をした新時代を予感させる甥のタンクレディに目を掛けるとき、リーダーとしての計算は瞳から消え、ただただ眩しくて愛しい生き物と接するようで極めて印象深い。確かにタンクレディに扮する若かりし頃のA・ドロンの肉体は、軽さがある種の武器になっており(馬車に飛び乗る場面の華麗なステップを見よ!)、肉厚な公爵との対比は映画の中で重要な位置を占めているのだ。

f:id:chinpira415:20160609190815j:plain してもう一つ、「山猫」の重要な鍵となるのが“対話”のシーンだ。映画の中で公爵は幾つもの対話の時間を持つ。お抱え神父との日常会話から始まって、狩猟先で気心の知れた相手から新政権に関する感想を聞く時間。タンクレディの縁組のために新興ブルジョアの村長と打ち合わせをする時間。新政府の上院議員になるよう説得に訪れた使者との会話…というように。3時間6分の大作とはいえ、これだけ対話に時間が割かれていてどうして退屈しないのか、私にはそのことがまず不思議だった。それも、対話をリアクションで繋ぐという映像が意識された方法ではなく、語りそのものがメイン・ディッシュなのにだ。小説との違い、演劇との違い…何かしら映画ならではの作為がないと地味過ぎて間が持たないはずなのに、もっともっと彼の話に耳を傾けたくなってしまう。公爵の語りが、常に話しながら思索し、思索しながら決断してゆくもので、そうした重層的なプロセスに映画を感じるからなのか。

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や、むしろもっと単純なこと。公爵の抱える人としての厚み ―肉体的にも精神的にも― が、それだけですでにドラマチックだからだ。しかも一国家のごとき名門貴族を代表するこの男でさえ、孤独と共に在り、死から逃れられないという点において我々と何ら変わりないことが対話の中で痛切に迫ってくるときのリアリティたるや…。こうした通俗的な力を侮ることなく、逆に戦力として取り込んでしまえるところにヴィスコンティ監督の凄味がある。公爵と我々を始終強く結びつけつつ、でも映画そのものは誰の心ともけして寄り添わない。この恐るべき冷酷さ!そしてそれを最も窺い知れるのが、あの伝説の大舞踏会の場面であろう。

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f:id:chinpira415:20160609191141j:plain  こではあらゆる“過剰”が提示される。紳士淑女の数はもちろん、夥しい数の宝石に扇におしゃべりが渦巻き、豪華さも醜悪さも老いも若さもどっと溢れて、その息苦しさに眩暈がする。しかしこの壮大な宴こそは、公爵の孤高を際立たせるために用意されたこれ以上考えられないほど残酷な仕掛けなのだ。


々は、一人歩いて岐路に就く公爵の後姿を、もはや他人とは思えない。あのシチリアの乾いた大地に吹き抜けていた風さえ恋しく思うほど、公爵と同じ血潮を分かち合う身になっている。最大限の敬意と親密感を寄せる中での幕切れが、いかにも傑作の名に相応しい。

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山猫
1963年/イタリア・フランス/カラー/187分

監督   ルキノ・ヴィスコンティ
撮影   ジュゼッペ・ロトゥンノ
脚本   ルキノ・ビスコンティ
     スーゾ・チェッキ・ダミーコ
キャスト バート・ランカスター
     アラン・ドロン
     クラウディア・カルディナーレ