Let's,モンドリアンすごろく🎲
モンドリアンと聞いて真っ先に思い浮かんだのは、ファッションデザイナーイヴ・サンローランが1965年に発表した『モンドリアン・ルック』ですね!もちろんリアルタイムでそのムーブベントを体験した世代ではないけど、その後1965年9月号のVOGUE誌の表紙を通じて語り継がれてきた伝説は、あたしの脳ミソに極太ペンでインプットされマシタ✒
来るべき大衆者時代を意識した襟なし袖なしの膝上サックドレス。スポーティーなジャージー素材が使われていてキレ味抜群♬いま着ても十分魅力的なこのドレスの名称から、逆にモンドリアンという画家の存在と作風を知ったというわけです。赤、黄、青+格子=モンドリアンだとね(笑)。
そんな、抽象絵画の先駆者として知られるピート・モンドリアン(1872-1944)の生誕150年記念展示を見に豊田市美術館へ行って参りました。単品で目にしたことは多々あっても、作風の変遷をたどる鑑賞は初体験★ 赤、黄、青+格子=モンドリアンに至る道のりは、そのまま20世紀美術のトレンドとも重なりあい、なかなかに興味深かったです。それでは年代順に追い駆けた【モンドリアンすごろく】にLet'sトライ👣
【干し物のある農家 (1897頃)】オランダの地方都市に生まれたモンドリアン。最初期には、故郷の牧歌的な情景を描き続けていたようです。でも早くも白い洗濯物の並びがリズミカルで、平凡な田舎の風景画には見えなかったりします。色面の並びにも抽象画への萌芽が感じられました。とにかくあたしのファースト・ステップがサンローランのあのドレスなので、絶えず参照しちゃって…急ぎすぎですかね?(笑)
【ヘイン河畔の洗濯物干し(1900-02頃)】またもや洗濯物絵画(笑)。いや、洗濯物は白い線と化し、もはや実体がないじゃないですか…。しかも木々の縦のラインと、川面への映り込みとが相まって、風景画であって風景画ではなし―。
【乳牛のいる牧草地(1902-05)】これも風景画というより、空60%、牧草地20%、河20%の平面構成の方に目が向きました。印象派の影響を受けた、25.5✕32.5cmの小ぶりな油彩ですが、絵の上下左右が外へ外へと広がって行き、自然の雄大さを感じさせる1枚でしたね。
【ニステルローデの納屋(1904)】次はほぼ真正面からそのまんま納屋。建物を描く気があるんかいっ!と突っこみたくなるでしょ…小学生のお絵描きじゃないんだから~。でも不思議。茶系のパッチワークとしてながめるとグッときちゃうんです。
【ヘイン河畔ー水辺の木々(1906-07)】3つ前と同じヘイン河畔を題材にした1枚。この絵、引きで見るとすんごくムードがあってね…実際の土地の空気が伝わってくるかんじ。このまま伝統主義的な風景画に変ってゆくのかな…と思っていたら―。
【ウェストカペレの灯台と雲(1908)】ズッドーンと現れたのが灯台でした、ひぇー!いきなりの大の字展開(笑)。とはいえ先の納屋と同じで、構造物として描く気はないみたい。かたまりとしての存在感。色味はロマンチック。この年に画家のヤン・トーロップ(1858-1928)と出会い、影響を受けたらしいですわ。
同じモチーフを繰り返し描いて実験につぐ実験。左は1909年、右は1910年制作。点描画にもトライし、30代後半になったモンドリアンはアクセルを踏み込み始めましたね。
【日没後の海(1909)】次のズッドーンは海。イメージとしての海がのびやかに描かれます。いやー、これまた新鮮じゃないの~。新しい技法に躊躇なく身をゆだねてゆくさまが眩しい★トーロップの出会いがきっかけになってますね。
【砂丘Ⅰ(1909)】砂丘も繰り返されたモチーフ。海と砂丘と何が違うねん!というツッコミはひとまず横に置き、この砂の輝きを浴びるのはエエ気分でした。
【砂丘Ⅲ(1909)】ブルーとピンクとイエローで点描に。模索してますね~。
【ドンブルグの教会塔(1911)】今度は教会。立体と平面が共存する舞台のセットみたいな描き方になってて、デカイんだけどペラペラ。背景の装飾性も気になりました。そしてこの年、モンドリアンは40歳の誕生日を迎える直前にパリへ移住します
【コンポジション木々 2(1912-13)】パリへやって来たモンドリアンは、たちまち最先端のキュビズムの洗礼を浴び、これまた躊躇なく取り入れようと没頭したみたいです。赤、黄、青の色の洪水は姿を消し、その代り黒を使ってフォルムの考察が始まります。少しづつあの馴染みのモンドリアンのイメージに近づいてきましたよ👀
【色面のコンポジションNo.3(1917)】やがて黒い網の目の線が消え、白地に淡い赤、黄、青の四角がランダムに並ぶ抽象世界が展開されます。こうして足したり引いたり掛け合わせたりの、画家の試行錯誤のプロセスが一望できるのも、デン・ハーグ美術館がガッツリ収集しているからですね。
【2本のオランダカイウ(1918)】モンドリアンは花の絵も描き続けていたみたい。意外なことにちゃんとフォルムがわかる(笑)。売れ線モチーフだったのかな…。偶然ながら、その日あたしが着ていたワンピース&白髪とシンクロしました~!
【大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション(1921)】そしてモンドリアンすごろくのあがりに到着です😊よく見ると、何度も色が重ね塗りされたり、線が寸止めされていたりしていて、製図のように描かれているわけではないのです。やっぱり絵画としての佇まいが感じられました。サン・ローランも、絵画だからこそドレスにしようと思ったのでしょう。テキスタイルとして使うのではなく、わざと平面的なドレスに仕立て、絵画そのものを着てしまうことが斬新だと!
【線と色のコンポジション:Ⅲ(1937)】コンポジションシリーズで重要な作家となったモンドリアン。第二次世界大戦で社会情勢が不安定になっているときでも、黒い線を2重にしたりと、尚も独自の理論を独り追求し続けていました。作家にとってこの浮世離れ感こそ、不可欠なスペックかもしれませんね。どこまでも純粋―。
この後、戦争の激化とともに➡ロンドンへ渡り➡1940年にはN・Yへ移住。終戦を待たず1944年に72歳で没たモンドリアン。振り返ってみると彼の人生は「こうしてわたしは大画家になりました!」を物語るにぴったりで、ビジネス本になりそうなんですよね。何せオランダの田舎町の極貧生活から始まり、最後はN・Yで現役アーティストとして幕を閉じたのですから~。そのうえ死んでも、お洋服に化けてパリコレですから~~。
【モンドリアンへの返歌】初期の『コンポジション』シリーズに、京都国立近代美術館所蔵のプラスとマイナスのための習作(1916頃)という作品があります。
実はちんぴらはこれが一番好きでした。そこで、モンドリアンへの返歌として作ったのが…『プラスとマイナスのための雑巾』です(爆)。いや~、古いタオルを雑巾に縫って、刺し子をしたのよー。トレンドセッターだったモンドリアンを解体&再構築?
あと、わかりやすくモンドリアン風弁当も作ってみた(笑)。黄=だし巻き卵、赤=キムチ、黒=しいたけの煮物、青=豆苗の胡麻あえ。つまり、サンローランが衣服、ちんぴらが雑巾と弁当を担当し、これで衣・食・住すべて整いマシタ~。祝、没後150年!
PS 次回は10/13に更新します